観ないとソンダと思ったので

だれでも発信できること自体が良いことと聞いたので、美術展や映画、音楽などの感想など書いてみます。

ボブ・ディランが英語学習に効果的な7つの理由(その4~7)

ボブ・ディランが英語学習に効果的な7つの理由」前回の記事の続き、残りの4~7つ目の理由をまとめて。

 

4.歌詞を英語として学習するためのリソースが豊富

曲の歌詞で英語を勉強しようとするなら、これは大事な点です。

昔は、歌詞カードと対訳を比べながら英語辞書片手に、音源を聞くという、なかなかにややこしい作業が必要でした。歌詞カードだけ持ち歩いて、電車で読んだりしたものです。しかし、今は、インターネットがあるので、歌詞は全て公式サイトで手に入るし、スマホでも見られますから、ずいぶん便利になりました。

ボブ・ディランの場合は、何しろボブ・ディランですから、膨大な楽曲の歌詞が全て公式サイトで検索できます。

Albums Archive | The Official Bob Dylan Site

また上でも挙げた、Geniousというサイトでは、歌詞の背景がユーザによってシェアされています。

genius.com

携帯音楽プレーヤーやスマホに曲を入れておいて、聞きたいときに、その場でどんな曲でも歌詞が見られるというのは、実際非常に便利です。ボブ・ディランの場合は、名実ともにいわゆるトップアーチストですので、そのリソースの充実度は完璧です。

ディランは、ホームページ開設もかなり早く、サイトのデザインなども常に最先端な印象があります。レコード会社としても、ボブ・ディランというアーティストを一種のアイコンとみなして、メディアでのデザインなどにも力を入れているのでしょう。

ちなみにディラン本人は、歌詞を見ながら曲を聞くというのは、曲の勢いをそぐことになるという理由で嫌がっていて、アルバムに歌詞カードも付けないのですが、日本人が英語詞を理解しようとするなら、歌詞を見ながら曲を聴くのは必須でしょう。一旦覚えて、歌詞を見ないでも聞き取れる、意味が分かるようになると、これまでとは全く違った曲の表情が見えてきます。

このように、原典というべきリソースは完璧な上に、ディランの場合は日本語での学習に関しても、訳詩集、解説教材などがあります。

訳詩集の場合は、絶版なのか、全詩集がバカ高くなっているので、これは今買わなくてもよいでしょう。日本版のCDを買えば、訳詩はついてますし、ノーベル賞をとったのですから、改めて最新の訳詩集がいずれ出るものと思います。 今の時代であれば、ネット上で見られるのが一番だとは思いますが。

また、訳詩はあくまで参考というか、ボブ・ディランの場合は歌ですから音が合わさって成立するもので、訳詩だけを読むのはまた別の楽しみ方ということになると思います。英語のわからない箇所を参考のために見るような感じでしょう。

その他、英語の勉強というところより、もっと深く入って文学としてのボブ・ディランの英語に興味をもつなら、下記のような書籍も最近話題になっています。

このように、単に歌詞を覚えて歌うだけでなく、一旦知ろうと思えば、より深く入っていくためのリソースが用意されていることも、その英語を学習していくモチベーションに繋がるのではないでしょうか。

 

5.外国人と共通の話題ができる。

英語を学ぶ上で、ネイティブ、あるいは他の国の英語学習者と会話をすることは一番大きな楽しみの一つだと思います。

しかし、初対面の相手との会話では、日本人どおしでも話題を見つけるのに苦労することもあるくらいで、それが英語となると、なかなかのハードルです。

なにか特別なシチュエーション、たとえば、事故で遅れている電車を待っているとか、同じ作業を協力してやる必要があるとか、飛行機で隣り合わせで目的地が同じとか、そういう場合であれば、その状況が共通の話題になりますが、特にそういうものがなく"Hi" "Hi"で始まる会話では、最初は自己紹介とか出身地の話とかで間が持ちますが、それも最初だけで、すぐに話題に詰まります。

そこで音楽の話なんてしてみて、相手も同じ趣味だったりすれば、曲名やアーティスト名を並べるだけで、結構盛り上がれるでしょう。

そういう意味では、英語圏でのボブ・ディランは年代問わず誰でも知っているという幅広さと、本人にまつわる歴史や逸話、作品の多さから、かなりディープに話ができるという深さの両方を持ってると言えるのではないでしょうか。

個人的にも、アメリカ人、カナダ人、オーストラリア人、イギリス人に対して、ボブ・ディランの話題を持ち出したことがありますが、知らない、興味ないという反応はまずなくて、"He is sad"、"He is difficult"というようなものも含めて、必ず何かのコメントは返ってきました。"He is sad"というのは”Knockin'on the heaven's door”なんかのイメージでしょうか。

実際は、音楽はあまり知らなくても、英語圏では文化的な存在として"Bob Dylan"という名前にはちょっと特別なニュアンスがあるような気がします。
昔、遊びに行ったサンノゼの友人のうちでは、家族全員が音楽好きで、家族でボブ・ディランブートレグのライブ録音の話などしていました。

その友人はディランよりニール・ヤングが好きで、その兄はボブ・ディラン派。野球を見に行く車の中で何をかけるかで争って、結局行きはボブ・ディラン、帰りはなぜかグレイトフル・デッドになった思い出があります。

 

6. 圧倒的な物量で読み尽くせない(はまると抜けられない)

本当のことを言えば、英語を好きになるきっかけになれば、誰でも自分が好きなアーティストが一番なのですが、それでも、やっぱり絶対的な量というものはあります。

短命、あるいは寡作なアーティストだと、英語教材としては限りがあります。

その点、ボブ・ディランは次のアルバムで38作目。とにかくコンスタントに半世紀以上作品を出し続けて、しかも同時進行でブートレッグシリーズがリリースされていくので、曲数は増えるばかり。どれくらいになるのか、公式サイトの曲一覧では現在のところ653曲ありました。

Songs | The Official Bob Dylan Site

ひとつひとつの歌詞の量も内容も相当の手ごたえですから、日本人が英語を勉強する教材としては一生付き合っていけるものでしょう。

このボリュームは、逆に、ボブ・ディランにはまると抜けられなくなるといわれる原因のひとつでもあります。

 

7.英語という言語を好きになる。

最近では、 語学の勉強は良い職を得るためとか、昇進のためとか、グローバル環境で活躍するためとか、そんな理由もあるようですが、個人的には、語学をそういった見方だけにとどめておくのはつまらないと思います。

語学を勉強するのは、異なる文化そのものを、自分の頭や体にとりいれたり、自分がその文化の中に入っていこうとする行為だと思います。その摩擦や違和感も含めて、驚きや自分の変化が面白いし、その異なる文化を持った個人や作品とのコミュニケーションが面白い。

学習のきっかけは、必要に迫られてというケースもあるとは思いますが、その場合でも、その文化の中に自分が心から好きになれる存在があれば、とてもラッキーだと思います。もちろん、それは自分にとっての特別な存在ですから、歌手でも作家でも映画俳優でも、その人それぞれです。

僕の場合は、ボブ・ディランが英語を好きになった理由のひとつと、はっきりと言えますし、常にボブ・ディランの英語が日常の中にあって、仕事で自分の英語がどんなに拙いか身に染みたときでも、英語ネイティブとのコミュニケーションがうまくいかなかったときでも、ボブ・ディランを聞いた時、その同じ英語で歌われる歌に勇気づけられたり、救われたりします。

そんな存在がボブ・ディランなのだと、そんな風にしてボブ・ディランを聞いている人が、世界中にいるのでしょう。

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最後に、今年に入って日本だけの企画として個人的に大ヒットな、ボブ・ディラン日めくりカレンダーを紹介しておきます。

毎日1フレーズのボブ・ディランの歌詞と、レアな写真が楽しめるという、考えたの誰?!直接お礼を言いたい!くらいの企画。

毎日、1フレーズ覚えるだけでも、ほら、ボブ・ディランで英語が上達します!

dylancalendar.com

ボブ・ディランが英語学習に効果的な7つの理由(その3)

ボブ・ディランが英語学習に効果的な7つの理由」前回の記事の続き、3つ目の理由です。

 

3.引用による英語文化の広がりがある

ボブ・ディランの歌詞に膨大な引用があることは良く知られています。

聖書や、シェークスピア英米の詩人たち、伝承歌など。昔からディラン研究者の間では引用を見つけて解釈するのが、ひとつの必須科目のようになってます。

基本的に英語圏の文化をベースにした引用ですので、日本人が聞いてすぐに理解するのは難しいのですが、聞いたことのある固有名詞が出て来る場合など、ちょっとググってみたりすると、その歌詞の暗喩の面白さに気づいたりします。

特に聖書は引用されることが多いのですが、ボブ・ディランの歌詞を味わおうとすると、必然的に個人の体験を超えて、その背景にある英語文化の広がりにも触れることになります。

例えば、1965年のアルバム「追憶のハイウェイ61」に収録された「廃墟の街」

"Desolation Row"には様々な物語や実在の人物が登場します。

vimeo.com

歌詞、ながーいんですけど、やっぱり載せましょう。

ちなみに、脚韻は各連の2行目と4行目、6行目と8行目、10行目と12行目に踏んでいます。

They’re selling postcards of the hanging
They’re painting the passports brown
The beauty parlor is filled with sailors
The circus is in town
Here comes the blind commissioner
They’ve got him in a trance
One hand is tied to the tight-rope walker
The other is in his pants
And the riot squad they’re restless
They need somewhere to go
As Lady and I look out tonight
From Desolation Row

Cinderella, she seems so easy
“It takes one to know one,” she smiles
And puts her hands in her back pockets
Bette Davis style
And in comes Romeo, he’s moaning
“You Belong to Me I Believe
And someone says, “You’re in the wrong place my friend
You better leave”
And the only sound that’s left
After the ambulances go
Is Cinderella sweeping up
On Desolation Row

Now the moon is almost hidden
The stars are beginning to hide
The fortune-telling lady
Has even taken all her things inside
All except for Cain and Abel
And the hunchback of Notre Dame
Everybody is making love
Or else expecting rain
And the Good Samaritan, he’s dressing
He’s getting ready for the show
He’s going to the carnival tonight
On Desolation Row

Now Ophelia, she’s ’neath the window
For her I feel so afraid
On her twenty-second birthday
She already is an old maid
To her, death is quite romantic
She wears an iron vest
Her profession’s her religion
Her sin is her lifelessness
And though her eyes are fixed upon
Noah’s great rainbow
She spends her time peeking
Into Desolation Row

Einstein, disguised as Robin Hood
With his memories in a trunk
Passed this way an hour ago
With his friend, a jealous monk
He looked so immaculately frightful
As he bummed a cigarette
Then he went off sniffing drainpipes
And reciting the alphabet
Now you would not think to look at him
But he was famous long ago
For playing the electric violin
On Desolation Row

Dr. Filth, he keeps his world
Inside of a leather cup
But all his sexless patients
They’re trying to blow it up
Now his nurse, some local loser
She’s in charge of the cyanide hole
And she also keeps the cards that read
“Have Mercy on His Soul”
They all play on pennywhistles
You can hear them blow
If you lean your head out far enough
From Desolation Row

Across the street they’ve nailed the curtains
They’re getting ready for the feast
The Phantom of the Opera
A perfect image of a priest
They’re spoonfeeding Casanova
To get him to feel more assured
Then they’ll kill him with self-confidence
After poisoning him with words
And the Phantom’s shouting to skinny girls
“Get Outa Here If You Don’t Know
Casanova is just being punished for going
To Desolation Row”

Now at midnight all the agents
And the superhuman crew
Come out and round up everyone
That knows more than they do
Then they bring them to the factory
Where the heart-attack machine
Is strapped across their shoulders
And then the kerosene
Is brought down from the castles
By insurance men who go
Check to see that nobody is escaping
To Desolation Row

Praise be to Nero’s Neptune
The Titanic sails at dawn
And everybody’s shouting
“Which Side Are You On?”
And Ezra Pound and T. S. Eliot
Fighting in the captain’s tower
While calypso singers laugh at them
And fishermen hold flowers
Between the windows of the sea
Where lovely mermaids flow
And nobody has to think too much
About Desolation Row

Yes, I received your letter yesterday
(About the time the doorknob broke)
When you asked how I was doing
Was that some kind of joke?
All these people that you mention
Yes, I know them, they’re quite lame
I had to rearrange their faces
And give them all another name
Right now I can’t read too good
Don’t send me no more letters, no
Not unless you mail them
From Desolation Row

 

さて、誰が出て来たでしょうか。

有名人だと、こんな感じです・・・

シンデレラ、ベティ・デイヴィス、ロミオ、カインとアベルノートルダムのせむし男、良きサマリア人、オフィーリア、アインシュタインロビンフッドオペラ座の怪人カサノバ、ネロ、ネプチューンエズラ・パウンド、T.S. エリオット。

こんな人たちが、紙芝居のように次々と現れては、嘆いたり、議論したりします。

シンデレラは救急車が走り去ったあとの廃墟の街を掃除していますし、良きサマリア人は廃墟の街のカーニバルで行うショーの準備をしていますし、オフィーリアはノアの箱舟の大洪水の後にかかった約束の虹を見つめるふりをしながら廃墟の街を盗み見ていますし、アインシュタインはかつて廃墟の街の電気バイオリン弾きとして有名でしたが今は誰にも顧みられませんし、カサノバは廃墟の街に行ったという罪で罰せられます。

これだけでも、面白そうじゃないですか?
その面白さは、グリム童話のシンデレラ、聖書の良きサマリア人の寓話、シェークスピアハムレット旧約聖書ノアの箱舟の物語、アインシュタインの逸話、カサノバの生涯などを知っていれば、よりよく味わえるものですが、この辺りは、60年代当時、アメリカのフォークソングを聞くような若者たちの一般教養だったのだと思います。

日本人にとってはそれほどなじみのない物語もありますが、たとえすぐに調べたりはしなくても、それが、ボブ・ディランの歌詞に出てきたということを覚えていれば、なにかのきっかけに、それに関する記事や本を手に取ることもあると思います。

また、こういった物語を、この曲の場合であれば、60年代のアメリカ人の若者は文化的背景として共有していたということも、ひとつの知識として理解することになると思います。ボブ・ディランの曲のなかで広がるイメージを通じて、アメリカ人の共有している物語の一端を覗くことにもなるわけです。

英語の曲の引用元に知るにはGeniousというアメリカの歌詞共有サイトが便利なので、リンクを張っておきます。

一般ユーザーが好きな曲の歌詞を解釈して共有しているサイトです。日本人ではなかなかわからない曲や歌詞の背景が書かれていたりします。

genius.com

次回に続きます。

 

ボブ・ディランが英語学習に効果的な7つの理由(その2)

 「ボブ・ディランが英語学習に効果的な7つの理由」前回の記事の続き、2つ目の理由です。

 

2. 英語のイントネーションとリズムが明確である。

ボブ・ディランの歌の発音ってどう思いますか?一般的には、ネイティブでも何言ってるかわかんないなんて言われますよね。確かに最近のライブなんかでは、知ってる曲で歌詞を覚えてても、何て言ってるのかわからないこともしばしばです。

物真似されるときでも大体甲高い鼻声でぐにゃぐにゃしたしゃべり方をされます。あの物真似は大体80年代くらいのボブのしゃべり方ですね。

しかし、何しろフォークで始まった人ですから、60年代は、はっきりと歌詞を伝えるように歌っていましたし、逆にメロディーのために言葉のリズムやイントネーションを犠牲にするということがなく、音的にも言葉を優先しているふしがあります。それが、時々、しゃべるように歌う感じになるのですね。

特に、英語のリズムとイントネーションが思いっきり強調されている曲が、Just Like A Womanではないかと思います。

 この動画はアルバム収録とは別テイクですが、歌詞付きで分かりやすいので貼っておきます。

youtu.be

有名なサビの部分を聞いてください。

She takes just like a woman, yes, she does
She makes love just like a woman, yes, she does
And she aches just like a woman
But she breaks just like a little girl

「彼女は、女のようにtakesー得る、女のようにmakes(love)ー寝る、女のようにaches-心を痛める。でも、幼い少女のようにbreaks―壊れるんだ」という、韻の踏み方といい、座布団2000枚くらいのニクイ名フレーズですが、聞いてほしいのは、この発音の仕方。

最初の3行は、sheを軽く伸ばしてタメをつくり、韻を踏んだ動詞takes、makes、achesをアクセントを誇張ぎみに吐き出した後、justーlike-a-womanと前にアクセントのある3つの単語を抑揚とリズムをつけて流します。そして、最後の行では、無理やり付け足すようなButのあと、動詞breaksをさらにアクセントを誇張気味に、そして、最後の just like a little girlは、just like a little までを一気に発声し、落ちのgirlは優しく引き伸ばす。

メロディーや譜割りに合わせるのではなく、言葉の意味に寄り添って、英語本来の韻やアクセントを誇張気味なまでに強調して、歌っているのがわかります。

聴く人によっては、歌じゃなくしゃべってるみたいだと言われることもあるボブ・ディランの唱法ですが、意味や韻を理解したうえでこのフレーズを真似して口ずさんでみると、アクセントやイントネーション、リズムに関して、メロディーと見事に調和しているのが分かります。

僕は特に意識して英語を勉強していなかった時でも、最後のBut she breaks just like a little girlの発音をなんども真似することで、just like aの言い方やlittleの発音が理解できた実感があります。

実際、このフレーズを口に出してみると、非常に心地よく、この気持ちよさというのは、詞と曲と歌がこれ以外にないと思われる完璧さで組みあわされているということではないかと思います。

 

次回に続きます。

ボブ・ディランが英語学習に効果的な7つの理由(その1)

ボブ・ディランが、「ノーベル文学賞を喜んで頂戴します。来年コンサートに寄ったついでに受け取るので置いといてください。」と表明してからしばらく経ち、騒動も落ち着いてきたころですが、その歌詞が注目されているこの機会に、以前から僕が実感していたことを書いておきたくなりました。

それは、ボブ・ディランの曲を聞くこと、というか、洋楽の中でも特にボブ・ディランを好きになることは英語学習に大変効果があるのではないかということ。

英語の曲を聞いたり歌ったりすることが英語の勉強になるというのは、間違いのないところで、英語学校なんかでも授業に取り入れていたりするものでしょうが、一般的にはどのような音楽が使われるでしょうか。ビートルズとか、カーペンターズあたりは、よくあるかもしれませんね。ディズニー映画の主題歌とかもありそうです。

しかし、特にボブ・ディランがおすすめという意見は寡聞にして聞いたことがありません。おそらく、ネイティブでも難解という歌詞が英語学習に向くはずがないとの先入観かもしれません。

しかし、一応、それなりに英語の勉強もした自分自身の体験に基づいた意見としては、ボブ・ディランは英語学習に向いているというだけの、それなりの理由があります。

では、その7つの理由を。

1.ボキャブラリーが増える。

ボブ・ディランの歌詞は、まず言葉の分量が違います。ただでさえ長い曲が多い上に、言葉がこれでもかと詰め込まれます。その単語のジャンルも、聖書や古典文学の引用から、ブルースやフォークの常套句、スラング象徴詩的な隠喩まで多岐にわたります。その歌詞を一曲でも理解しようと調べたり、覚えて口ずさもうとするだけで、他のアーティストで同じことをする数倍のボキャブラリーに触れることになるわけです。
下記は世界初のPVともいわれる "Subterranean Homesick Blues" のビデオですが、歌詞の単語を次々にめくっていく様子は、まるで単語カードを見せながら英単語を教えているNOVA KIDSの先生のようではありませんか。ちなみに左にいる味のあるおじさんはアレン・ギンズバーグです。

youtu.be

次に"All I really want to do"の歌詞を見てみましょう。

I ain't lookin' to compete with you
Beat or cheat or mistreat you
Simplify you, classify you
Deny, defy or crucify you
All I really want to do
Is, baby, be friends with you
 
No, and I ain't lookin' to fight with you
Frighten you or uptighten you
Drag you down or drain you down
Chain you down or bring you down
All I really want to do
Is, baby, be friends with you
 
これは、「君を~したいんじゃ無い。友達になりたいだけなんだよ」という歌で6番まであるのですが、上に引用した2番までで、「~」にあたる部分に、どれくらいの動詞が出てきたでしょうか。
compete / beat / cheat / mistreat
simplify / classify / deny / defy / crucify

fight / frighten / uptighten

drag down / drain down/ chain down / bring down

いわゆる、人間関係で、できればあんまり取りたくない、取られたくない、でも取ってしまいがちな態度を表す動詞が、面白いように韻を踏んで、2番までで16個も出てくるのです。

この歌を口ずさもうとするなら、結構な動詞の学習になると思いませんか?

 

僕は君と競いたい訳でも、君を論破したい訳でも、騙したい訳でも、虐げたい訳でも、純化したい訳でも、分類したい訳でも、拒絶したい訳でも、無視したい訳でも、吊るし上げたい訳でもない。

俺は君と、友達になりたいだけなんだよ。

 

そう、僕は君と戦いたい訳でも、君を脅したい訳でも、苛立たせたい訳でも、引きずり下ろしたい訳でも、押し流したい訳でも、縛りつけたい訳でも、打ち倒したい訳でもない

俺は君とね、友達になりたいだけなんだよ

 

この曲が収録されたボブ・ディラン4枚目のアルバム「Another Side of Bob Dylan」は、それまでの「風に吹かれて」や「時代は変わる」といった曲で着せられた、社会派フォークシンガー、プロテストソングの歌い手としてのイメージを払拭するように、歌詞も音楽性も、もっと等身大の自分を表現した作風に変わったものになっています。

そのアルバムの一曲目で、こんなユーモアを交えた、皮肉っぽい歌詞を可笑しそうに歌うのが、いかにもボブ・ディランぽくて好きです。

 

youtu.be

続きは次回

 

 

ボブ・ディランの歌詞のどこがすごいのかについて語りたい

ボブ・ディランノーベル文学賞
めでたい。ファンとしては嬉しくて涙が出そうな出来事ですが、報道を見るにつけ、特に日本のメディアでのボブ・ディランの紹介のされかたに、モヤモヤせずにはいられません。
フォークの神様、反体制、公民権運動とか・・・・いつの話じゃい!と思いもすれ、まあそれも重要な点ではあるし、と思い直し・・・いやそもそも、このノーベル文学賞の授賞理由「偉大な米国の歌の伝統に、新たな詩的表現を創造した」っていうのをちゃんと説明している記事が見当たらない。しまいにはトランプがどうとか・・・。
そういうこともあるかもしれませんが、ノーベル文学賞の選考委員の眼識っていうのは文学者からも一定の評価を受けているわけで、単に目新しさや政治的理由だけで賞を贈るわけがありません。
今回の選考結果の理由のひとつには、古代からの詩の伝統や、現代の詩の影響力ということを考えたときに、ポピュラー音楽の歌詞を賞の対象から外すこと自体に疑問があって、そこを突破するなら、ボブ・ディランが健在の今、彼に与えるしかないという判断があったのではないかと思います。
もともと、声に出してパフォーマンスすることを重要視したアレン・ギンズバーグなどのビートニクの詩を重要な文学と認めるなら、そことディランの歌との、文学としての距離は非常に近い。であれば、ボブ・ディランを無視するわけにはいかないし、ボブ・ディラン以外でノーベル文学賞に値すると誰もが認めるアーティストを探すのも難しい。
実際に、受賞候補としてのディランは、ここ数年毎年取りざたされていたわけで、降ってわいた話ではないのです。
2014年のこの本でも候補に入ってます。

www.seigetsusha.co.jp



まあ、ごちゃごちゃ言うよりは、ではディランの歌詞のどこがどうそうなのかというのを、僕なりに語りたい。

どの曲がいいか考えましたが、あえてレア曲のこの詞を紹介したいと思います。

「George Jackson」

なぜこの曲かというと、曲として聴いて感動的なのはもちろんですが、まず短くて、構成が明快ですし、英語も分かりやすい。「米国の歌の伝統に、新たな詩的表現」という面も見られるし、反体制的な要素も含まれているということで、サンプルとしてはちょうど良いと思うからです。

曲名のジョージ・ジャクソンは、70ドルを盗んだ罪で18歳のときに囚人となりましたが、刑務所内で黒人解放運動の活動家となり、そのために権力側から疎まれて、10年間も釈放されず、脱獄しようとしたところを警備員に射殺されています。その事件をモチーフに1971年に作られたのがこの歌です。

ジョージ・ジャクソン - Wikipedia

 

では、歌詞を見てみましょう。

George Jackson

I woke up this mornin’
There were tears in my bed
They killed a man I really loved
Shot him through the head
Lord, Lord
They cut George Jackson down
Lord, Lord
They laid him in the ground

Sent him off to prison
For a seventy-dollar robbery
Closed the door behind him
And they threw away the key
Lord, Lord
They cut George Jackson down
Lord, Lord
They laid him in the ground

He wouldn’t take shit from no one
He wouldn’t bow down or kneel
Authorities, they hated him
Because he was just too real
Lord, Lord
They cut George Jackson down
Lord, Lord
They laid him in the ground

Prison guards, they cursed him
As they watched him from above
But they were frightened of his power
They were scared of his love.
Lord, Lord,
So they cut George Jackson down.
Lord, Lord,
They laid him in the ground.

Sometimes I think this whole world
Is one big prison yard
Some of us are prisoners
The rest of us are guards
Lord, Lord
They cut George Jackson down
Lord, Lord
They laid him in the ground

せっかくなので、和訳も載せたいですが、ネットで公開されていないものは、著作権の問題もありそうなので、我流の拙訳でご容赦ください。
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今朝目を覚まして
ベッドで泣いていた
彼らは僕の大好きな男を殺したんだ
その頭を撃ちぬいたんだ

主よ、主よ
彼らはジョージ・ジャクソンを殺したんです
主よ、主よ
彼らは彼を地面に埋めたんです

70ドルを盗んだ罪で
彼を牢屋に押し込んで
その後ろで扉を閉めて
その鍵を投げ捨てたんだ

主よ、主よ
彼らはジョージ・ジャクソンを殺したんです
主よ、主よ
彼らは彼を地面に埋めたんです

彼は誰からも侮辱されることを許さなかったし
誰の前でも頭を低くしたり、ひざまづいたりすることが無かった
権力者は彼を憎んでいた
彼がただ、あまりにも偽りを拒む人間だったから

主よ、主よ
彼らはジョージ・ジャクソンを殺したんです
主よ、主よ
彼らは彼を地面に埋めたんです

看守たちは彼を罵った
上から彼を見下ろしながら
でも、彼らは恐かったんだ、彼の力が
恐ろしかったんだ、彼の愛が

主よ、主よ
だから、彼らはジョージ・ジャクソンを殺したんです
主よ、主よ
彼らは彼を地面に埋めたんです

ときどき、僕は思う
この世界は全体で大きな一つの監獄じゃないかと
ある者たちは囚人で
残りの人たちは看守なんじゃないかと

主よ、主よ
彼らはジョージ・ジャクソンを殺したんです
主よ、主よ
彼らは彼を地面に埋めたんです

---------------------------------------------------------


では、英語の歌詞を解説してみます。

まず、最初の、I woke up this mornin’という始まり方。これは非常によくあるブルースの歌詞の歌い出しです。そして、途中で入るLord, Lordという呼びかけもブルースやゴスペルの形式です。
で、ブルースなら、「朝起きたら、女がいねえ」とか「朝起きたら、靴がねえ」とか「朝起きたら、ブルースが部屋の中を歩きまわってた」とかいう風になるんですが、この詞の場合はそこから社会事件が語られるわけです。この社会事件を語るというのは、イギリス系アメリカ人の民謡に見られるバラッドという歌の形式です。
つまり「偉大な米国の歌の伝統」に則っていながら、ブルースとバラッドという異質なものを組み合わせているわけです。

ボブ・ディランは60年代にバラッド形式のフォークソングを多く書いているので、おそらく、この事件を歌にしようと思ったときも、バラッドの形式が念頭にあったことでしょう。しかし、この歌のテーマを考えたときに、歌い出しや、サビの部分に、ブルースやゴスペルという要素を入れたかったのではないでしょうか。

そして、次のポイント。英語の詩なので脚韻を踏むのは当然なのですが、ボブ・ディランの場合その韻の踏み方が非常にうまい。

まずサビの下記の部分。

Lord, Lord,
They cut George Jackson down.
Lord, Lord,
They laid him in the ground.

感情を込めて、声に出して読むとわかりますが、 downとgroundというのは「倒した」という部分と「地面に」という部分なので意味的にも強調したくなる、強く発声したくなる部分なのです。

※この場合、groundのdはほとんど発音しませんので、音的には韻を踏んでいます。

他にも、下記の箇所では aboveとloveで韻を踏んでいます。

Prison guards, they cursed him
As they watched him from above
But they were frightened of his power
They were scared of his love.

これも、「上から」見下ろしたという部分と、「愛」を怖がったという部分で一番強調したい部分です。とくに最後のloveは一番訴えたい言葉なので、それを韻を踏ませて最後に持ってくるというのは見事です。

このように技巧的にも見事なわけですが、なによりも文学的にすごいと思うのはこの曲の構成と、最後のパートです。

この歌の順番では、まず、目が覚めて泣いているという自分自身にフォーカスが当たっています。
次に、ジョージ・ジャクソン事件の顛末が描かれ、視点は客観的な事件の描写へと移ります。
そして各パートごとにLord、Lordと神への問いかけが入ることで、視点がより高次なものへと移ります。この祈りには、絶対的な権力の前で、その非道をどうすることもできないという諦めと悲しみが表れていて、これはブルースやゴスペルに通じるものでもあります。

順番としては、自分 ⇒ 社会 ⇒ 神 といったように、個人からより広い世界へと視点が移動する感じです。

これは、歌を聞いていると実際に情景として、

・自分:ベッドに起き上がった男の姿
・社会:ジョージ・ジャクソン事件の様子
・神:ジョージ・ジャクソンの亡骸と神へ祈る姿

が、まるで映画のように浮かんでくるのです。

そして、最後にその情景はまた、ベッドに起き上がって泣いていた男にもどってきます。

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Sometimes I think this whole world
Is one big prison yard
Some of us are prisoners
The rest of us are guards

ときどき、僕は思う
この世界は全体で大きな一つの監獄じゃないかと
ある者たちは囚人で
残りの人たちは看守なんじゃないかと
---------------------------------------

必殺のフレーズです。見事な比喩。深みのある洞察と、広がりのあるイマジネーション。
ここで、この歌はジョージ・ジャクソン事件の歌から、普遍的な世界や社会の姿を歌っているものに変わります。
そこで浮かんでくる情景は、人それぞれに違うものでしょう。
身の回りのことだったり、遠い国の現状だったりするでしょう。
その広がり、その普遍性が、ボブ・ディランの歌詞が特別な文学性を持っていると言われる点だと思います。
もちろんこれは、伝統的なブルースやフォークの歌詞、またボブ・ディラン以前のポップミュージックの歌詞には見られない表現です。
この歌では歌詞のどこにも難解な表現や難しい単語は出てきませんが、その中でこれだけの詞を書いているということです。

とはいえ、一番すごいのは、これがボブ・ディランの歌の世界のほんの一部だということで、他の曲では、圧倒的にシュールなイメージが繰り広げられるものや(ブロンド・オン・ブロンド)、言葉遊びのようなナンセンスな歌詞(地下室)もあり、感情を掻き乱されるような恋愛に関する歌(血の轍)も多い。カバーも結構しています。

その一つ一つが質的にも量的にも圧倒的な作品群としてディランの歌の世界を形成しています。そして、それは全てアメリカの民衆の声として、バラッドでもブルースでも、移民として、あるいは奴隷としてやってきた人々がアメリカという国を作る中で歌い継いできた歌を源流として、自らはユダヤ人であるディランがその身体を通して現代に発している声なのです。


「偉大な米国の歌の伝統に、新たな詩的表現を創造した」

ボブ・ディランノーベル文学賞を授賞した理由が、新聞記事やワイドショー、Naverまとめを読んでよく分からなかった人に、少しでも、その歌の魅力が伝われば幸いです。

あ、そうそう。音源も貼っておきます。

videopress.com

このバンドバージョンは、フォークとゴスペルの要素が組み合わさっていて面白いのですが、歌自体は、弾き語りの方が訴えてくるので、音源が欲しい方は、アコースティックバージョンもお勧めします。ちょっとレアな曲なのですが、サイド・トラックスというアルバムに入っています。
このアルバムは、レア・トラック集なので、最初の一枚というにはアレなのですが、いい曲ぞろいで年代も広くカバーしており、アコースティックバージョンが多いので、歌詞を味わいたい人には結構いいのではないかと思います。

 

最後にもう一点だけ。

ディランはある時期から、歌詞を見ながら歌を聞くことは歌の勢いをそぐことになるという理由で、アルバムに歌詞カードを付けることをやめています。また、歌詞だけを読んで、ごちゃごちゃ言われることを嫌がっていた時期もあります。

ノーベル文学賞受賞について、今もコメントをしていないボブ・ディランですが、自分の詞は歌われて初めて成立するものだという信念があることは確かなようです。

瀬戸内国際芸術祭「大島」へ行って来ました。

先週末、瀬戸内国際芸術祭の開催地のひとつである大島に行って来ました。
芸術祭の開催地とは言っても、大島の場合は他の瀬戸内の島のようにアート体験を目的とするものとは少し趣が異なっています。

面積61ヘクタール、良くある言い方だと東京ドーム約13個分の広さの大島には、日本に13施設ある国立ハンセン病療養所のひとつ大島青松園があります。

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1909年(明治42年)に療養所がつくられてから、ハンセン病患者の隔離政策のもと、のべ4000名近くのハンセン病患者が入所し、約半数がこの島で生涯を終えています。
ハンセン病はもともと極めて感染力が低い上、治療法も確立されており、適切な治療を受けて治癒した患者からは感染の恐れのない病気ですが、日本では1996年に「らい予防法」が廃止されるまでは患者の隔離政策が取られ、一般の人が療養所に行き来することも自由にはできませんでした。

現在では数十人の入所者全員のハンセン病に関する基本治療は終了していますが、平均年齢83歳とすでに高齢であり、島での生活が長いため、患者ではなく入所者として、そのまま島に居住しているとのことです。

瀬戸芸では2010年の第1回から大島も開催地としてアート作品の展示と、その歴史や、入所者のかつての生活などを見学するツアーを開催しています。

通常は月に2日ほど見学の機会があるそうですが、芸術祭期間中は、高松港から毎日3便の高速艇が無料で出ており、見学希望者は「高松港総合インフォメーションセンター」で整理券を受け取って、ツアーに参加することになります。ツアー自体は高松港を出発して島をめぐり、また戻ってくるまでトータルで2時間ほどでした。

20名ほどの参加者と一緒に高速艇に乗り込み、高松港を離れると波しぶきをあげて、大島をめざしました。

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位置的には、高松からすぐ近くの島なので、20分ほどで大島が見えてきます。
上陸するとすぐに受付で参加賞をもらい、芸術祭のボランティア、こえび隊のガイドの方による、ツアーが始まりました。

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ガイドについて歩き始めるとすぐにスピーカーからずっと流れている静かな音楽に気が付きます。
これは、盲導鈴というものだそうで、ハンセン病は進行すると失明など視力に後遺症が残るケースがあるため、目の不自由な入所者のために、地区によって異なる音楽をずっと流しているのだそうです。この盲導鈴と、道沿いに腰くらいの高さに設置された盲導柵、そして道の中央に引かれた白線が、大島3点セットと呼ばれているそうです。

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今回の瀬戸芸では、食がひとつのテーマとなっており、大島でもカフェシヨル(さぬき弁でシヨルは「している」なので、「カフェやってます」のような意味?)というカフェで、地元の材料を使ったスイーツや、ドリンク、ランチなどが食べられます。

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このカフェは大島でのアートプロジェクト「やさしい美術プロジェクト」の一環として名古屋造形大学が中心となって2013年に作られ、大島で採れた果実で作られたお菓子やドリンクを、大島の土で作った器で食べられるそうです。島外からの訪問者、入所者、療養所の職員が、隔てなく集う場所として運営されているようです。

カフェを過ぎ、道沿いに小山をのぼっていくとすぐに右手に海が見えます。その眼下には、入所者が利用する共同浴場があります。

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そして、そのまま細い道をさらに登っていったところに、納骨堂と石碑が建てられています。
かつてハンセン病を患った人々は、差別の対象となったため、療養所に入る際に、家族との縁を切ってきたと言います。そのため、亡くなった後に入る墓が無く、その骨を納めるための納骨堂が、日本にある13の療養所すべてに設けられています。この大島の納骨堂には1500人の骨が納められているそうです。
ツアー参加者全員で、黙とうした後、入り口の外から少し中を見ることができましたが、割と最近改装されているのか、内装がとてもきれいに作られていたのが印象的でした。

その納骨堂のすぐ横にある石碑のひとつには、胎児の碑があります。
かつて療養所内での患者同士の結婚は許されていましたが、子供を持つことは許されなかったため、生まれることが出来なかった胎児のために、この石碑が建てられています。
その横には、亡くなったハンセン病患者の碑、そしてハンセン病の救済事業に尽力した、かつての大島青松園の園長である医師小林博士の碑がありました。
小林博士は医師ですが、一般的には、ハンセン病療養所では、治療よりも監視、管理が優先されたため、警察官僚のOBが所長を勤めることが多かったそうです。

納骨堂と石碑のある丘を反対側に下っていくと、石仏がならんでいます。

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これは島の中でも、八十八か所巡りの遍路ができるように、各寺から寄贈されたもので、実際に八十八の石仏があるようです。大島では入所の際、仲間を作るために仏教か、キリスト教かどちらかの団体に所属することが推奨されたそうです。


そこからほどなく行くと、入所者の住居があります。小さなアパートのような部屋が並んでいました。かつて、入所者数がピークの昭和18年には、740人の入所者がおり、24畳の部屋に12人が寝起きしていたそうです。

そして、ツアーの最後の場所、元入所者の住居を改造した場所には、アート作品の展示スペースがあります。
絵本作家、田島征三さんの作品と、ギャラリーとして、入所者の使っていたカメラや撮影した写真、釣りなどを楽しんだ木船、入所者が読んでいた本などが展示されています。

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ハンセン病を患い大島に来ることになった人たちが、この島でそれぞれの人生を過ごす中で、それぞれの生きがいや楽しみとして使っていた道具には、その内側にその持ち主の時間がいまも流れているようで、じっと見ていると、その道具が使われている様子や、その持ち主が見ていた光景が一瞬浮かぶような気がしました。


特に、入所者が読んでいた本とともに展示されていた、入所者が書いた詩や短歌、小説などの文学作品は、少し目を通しただけでも、ただの気を紛らわせるための趣味から遥かに遠く、文学としての深い精神性を感じさせるものでした。後で、調べてみるとこの大島からは、他の文学者からも高く評価され、全国区で活躍した作家や詩人など、非常に高い文学性を持った作品が多く生まれているようです。入所者の味わった体験、重ねた思索から、そういった文学的な作品が生み出されていったということだと思います。

そのアート展示の空間の間に、潮に洗われた石の台が置かれています。これは、かつて亡くなった患者の解剖に使われていた解剖台なのだそうです。

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ガイドの方によると、入所時に解剖への同意書にサインをさせられていたという話でした。
年月が経ち、ゴミとして海岸に放置されていたものを、この場所に置き直して展示されているということです。
波と風の音だけが穏やかに聞こえる中で、手洗い場のように置かれた石が、人間の解剖台であるという事実には、シュールな非現実感とともに、言葉を失わせるような悲しさを感じました。

この島を歩いてみると、 ハンセン病の歴史、大島の歴史は、見学者として単純な憤りを覚えるにはあまりにも深く複雑で、過去として傍観するにはあまりにも近く感じます。そして、暗鬱になるには、島の人や空気はあまりにも静かで穏やかでした。

しかし、多数にとって何か都合の悪いものを見えないものとして隠そうとする傾向や、根拠のないルールであっても、過ちを認めて改善することを避けようとする無責任さや、権威によって決められたものを、雰囲気の中で受け入れるともなく受け入れてしまう習性など、そこには、今も変わらない日本人の特質として省みるべきものがあるのではないかと思います。

そして、それにもかかわらず、自分自身がこの島を歩くときに感じる静かな気持ちも、これもどこか日本人的な感性なのかもしれないとも思いました。

ガイドツアーが終わると、残りの時間はアート作品や島の散策、カフェなどで時間を過ごし、スタート地点にもどり、また高速艇に乗って高松港にもどりました。
アクティビティのような楽しいアートツアーではありませんが、ただの社会見学とも違い、何か貴重な静かさを感じる時間でした。
大島をアートの島と呼べるかどうかは分かりませんが、その体験は確かに真摯な芸術作品に触れたときの気持ちと通じるものがあるように思いました。 

setouchi-artfest.jp

兵庫県立美術館「1945±5年」を観ました

昨年、戦後70周年を機に色々なところで話題になり、雑誌などでも特集されていた戦争画。個人的にも昨年は横浜美術館や浮世絵太田記念美術館などで、戦争画の企画展を観ました。
そして、戦後70年は一旦区切りがついた今年になって、兵庫県立美術館でこの企画展が開催されたということになります。ストレートに「1945±5年」と銘打って、戦前、戦中、戦後の日本の画家たちの活動と作品を200点で検証するという骨太の展示です。

もう一つ付け加えると、先月まで、国立国際美術館でやっていた「森村泰昌:自画像の美術史」でも今の現代美術のテーマとして、戦時下という状況で描かれた松本竣介の作品に重要な位置づけが与えられており、戦争画とは戦後70年の期間限定の話題ではなく、現代に深く関わる問題であるという認識は、共有されているのではないかと思います。

さて、展覧会自体は、まさにその松本竣介の作品で始まっていました。
今回の展示では、多くの作品が戦意高揚に協力的ないわゆる「戦争画」だったわけですが、その中で、明確にではなくとも戦時下での画家、芸術家にたいする、戦争協力の圧力に抵抗していたと思われる松本俊介を最初に持ってきているところに企画者の意図を感じました。


実際、小磯良平や、藤田嗣治といったもっと有名な画家の絵もありましたが、それがどれほど美的に優れていたとしても、戦意高揚を前提としたものであれば、今芸術として素直に受け止めるのは鑑賞者の心理として無理があります。そういった不安定な気持ちでの鑑賞を強いられる中で、街の上に暗く不気味に覆いかぶさるような国会議事堂を描いた「議事堂のある風景」を含む松本竣介の作品は、純粋に芸術として向き合えるという意味で、この企画を絵画展として成立させるために重要な役割を持っていたのではないかと思います。

展示全体の構成としては、時代別に、戦前、戦中、戦後にわかれ、さらにそれがいくつかのテーマで区切られていました。
戦前の作品群は比較的オーソドックスな洋画が中心ですが、戦中になるにしたがって徐々に絵のモチーフは時局を描いたものに固定されていきます。
それでも、出征先の街の風景を描いた小品などからは、たとえそれが日本の植民地の風景を国民に報せるという政府の意図があったとしても、露骨な戦意高揚という印象は受けず、前田藤四朗の沖縄、満州を描いた作品や、森堯之のハルビン、ロシアを描いた作品には、エキゾチックな風物への素朴な興味と、それを描きたいという芸術家としての純粋な欲求があるような気がしました。


しかし、次に伊谷賢蔵の「楽土建設」という作品が現れたときには、そのタイトルもさることながら、非常に複雑な印象を持ちました。
力強く生き生きとした中国の農村風景と少女が描かれた大作で、その画面から受ける印象はとてもヒューマニスティックで明るいのですが、その少女の手には日の丸があり、その土地が日本の楽土であるという政治的なニュアンスを結果として与えるようになっています。
ただその一方で、絵画として見た印象からはどうしても、その作品が戦意高揚の目的だけで描かれたとは思えず、確かに画家には、中国の農村の土地や人々に対する共感と、芸術家としての人間的な表現欲求があるように思えました。その二つは、この時代の画家の意識の中では矛盾なく統合されていたのか、あるいは戦争協力的な要素は妥協とカモフラージュの結果なのか。その問いは、この後の展示で戦中の「戦争画」作品を観る上で、ずっと引っかかりました。

いくつかの作品は、露骨に戦意高揚、国威発揚、国家アイデンティティの強化のための宣伝的なものであり、そういったものは、芸術的な感動とは程遠いため、資料としてある意味で安心して観て過ぎることが出来ます。また、特にシュールレアリスムの作品群では明らかにカモフラージュとして体制側のモチーフを取り入れていたりして、それはそれで理解することが出来ます。
しかし、藤田嗣治もそうなのですが、多くの特に戦闘を描いた作品には、特殊な状況下での奇妙なリアリズムと、絵を描くことを仕事とした人間の業のようなある種の情熱を感じます。
とはいえそれは、絵画を観るときに感じる一般的な感動とは異質のもので、決して絵に没入することはできず、鑑賞者自信の倫理感も常に問われているという非常に不安な気持ちで鑑賞を続けることになりました。

戦後作品のエリアになると、破壊された文明と敗戦の現実、戦争の記憶、そして抑圧からの解放が主要なテーマとして現れてきます。

戦後の作品になると絵を観る上で、その画家を縛っている権力の影を感じることはなくなっていくのですが、一部の作品では反対に戦後の政治的なイデオロギーが芸術以前の動機として感じられる作品もあり、そこでも、絵画全体に網がかけられ、鑑賞者がその網の中に入っていって作品を観ているような重たさがありました。

戦中エリアの作品でもそうでしたが、個人的には風景のスケッチのような、テーマにおいても物理的なサイズにおいても小さい作品が、画家が自由に描いているようでほっとするものだった気がします。

その意味では、展示の一番最後に置かれていた浜田知明の小さな作品「聖馬」では、その小さな額縁がまるでのぞき窓のように感じられ、その奥に個人的な戦争の記憶とシュールレアリスム的な実験の結合が、画家の想像力によって芸術として実現されているように思えました。

それは小さな窓としての絵画を通しての精神の解放とも感じられ、それがこの絵画展の最後の作品であっただけにある種の救いのようで感動的でした。

全体を通して、通常の絵画展を鑑賞するのとは大分異なる体験でした。

普通は例え重いテーマを扱った作家の個展でも、そこには作家の自由な表現としての芸術作品に対面するある種の喜びがあるものです。

しかしこの「1945±5年」展では、それが戦争画であるという前提を忘れて純粋に色彩や形態を観ることは不可能であり、絵を描いた画家の位置と絵の前に立った自分の位置を常に考えざるを得ませんでした。


それが、この企画展の意図したものなのかは分かりませんが、おそらく鑑賞者がどのように感じるのか、どのようにこの展示を観るかというのは、他のどの絵画展よりも、予測するのは難しかったのではないでしょうか。実際、鑑賞者それぞれでかなり異なった感想が出てくるのではないかと思います。はっきり言えることは、これは決して安心して観られる絵ではないということで、それはもしかしたら結果的に、現代美術がはらんでいるはずの現代の鑑賞者の価値観や歴史観を揺さぶり疑いを投げかけるということと、共通するものを含んでいるともいえるのではないでしょうか。

一方で、こういった絵画が当時どうやって人々の目に入っていたかという点では、意外な発見がありました。
戦争画というのは、当時の新聞や雑誌などの印刷物での広報に利用されていたものと思っていたのですが、実際は、新聞社や政府が主催する聖戦美術展、大東亜戦争美術展、戦時特別美術展といった展覧会が全国を巡回し、相当な入場者を集めたようです。当時様々な規制がある中で、絵画展というのはある意味では貴重な文化的催しの機会だったのかもしれません。
また、当時の政府にとっては、イメージによる民衆意識のコントロールという意味で、視覚表現の与える効果というものに有効性を感じていたものと思われます。
前線や白兵戦を描いた戦争記録画などは、写真や想像をもとに描かれたものがほとんどだということですが、写真そのままよりも、それをもとにした絵画の方が効果的な面があったということでしょう。
そう考えると、当時の入場者の中には、こういった体制や時世の圧力で描かれた「芸術」に戸惑いや、不安を覚える鑑賞者もいたはずで、現代のこの「1945±5年」展の鑑賞体験はその疑似体験といえる部分もあり、そこからもこの企画展が単に資料としてではなく、現代性のある問題意識を持った企画だったと言えるのではないかと思いました。

 次は広島市現代美術館に巡回するようですので、興味を持たれた方は足を運んでみてはいかがでしょうか。今後は、なかなか観る機会の無い企画展だと思います。

https://www.hiroshima-moca.jp/the1945/