観ないとソンダと思ったので

だれでも発信できること自体が良いことと聞いたので、美術展や映画、音楽などの感想など書いてみます。

ボブ・ディランの歌詞のどこがすごいのかについて語りたい

ボブ・ディランノーベル文学賞
めでたい。ファンとしては嬉しくて涙が出そうな出来事ですが、報道を見るにつけ、特に日本のメディアでのボブ・ディランの紹介のされかたに、モヤモヤせずにはいられません。
フォークの神様、反体制、公民権運動とか・・・・いつの話じゃい!と思いもすれ、まあそれも重要な点ではあるし、と思い直し・・・いやそもそも、このノーベル文学賞の授賞理由「偉大な米国の歌の伝統に、新たな詩的表現を創造した」っていうのをちゃんと説明している記事が見当たらない。しまいにはトランプがどうとか・・・。
そういうこともあるかもしれませんが、ノーベル文学賞の選考委員の眼識っていうのは文学者からも一定の評価を受けているわけで、単に目新しさや政治的理由だけで賞を贈るわけがありません。
今回の選考結果の理由のひとつには、古代からの詩の伝統や、現代の詩の影響力ということを考えたときに、ポピュラー音楽の歌詞を賞の対象から外すこと自体に疑問があって、そこを突破するなら、ボブ・ディランが健在の今、彼に与えるしかないという判断があったのではないかと思います。
もともと、声に出してパフォーマンスすることを重要視したアレン・ギンズバーグなどのビートニクの詩を重要な文学と認めるなら、そことディランの歌との、文学としての距離は非常に近い。であれば、ボブ・ディランを無視するわけにはいかないし、ボブ・ディラン以外でノーベル文学賞に値すると誰もが認めるアーティストを探すのも難しい。
実際に、受賞候補としてのディランは、ここ数年毎年取りざたされていたわけで、降ってわいた話ではないのです。
2014年のこの本でも候補に入ってます。

www.seigetsusha.co.jp



まあ、ごちゃごちゃ言うよりは、ではディランの歌詞のどこがどうそうなのかというのを、僕なりに語りたい。

どの曲がいいか考えましたが、あえてレア曲のこの詞を紹介したいと思います。

「George Jackson」

なぜこの曲かというと、曲として聴いて感動的なのはもちろんですが、まず短くて、構成が明快ですし、英語も分かりやすい。「米国の歌の伝統に、新たな詩的表現」という面も見られるし、反体制的な要素も含まれているということで、サンプルとしてはちょうど良いと思うからです。

曲名のジョージ・ジャクソンは、70ドルを盗んだ罪で18歳のときに囚人となりましたが、刑務所内で黒人解放運動の活動家となり、そのために権力側から疎まれて、10年間も釈放されず、脱獄しようとしたところを警備員に射殺されています。その事件をモチーフに1971年に作られたのがこの歌です。

ジョージ・ジャクソン - Wikipedia

 

では、歌詞を見てみましょう。

George Jackson

I woke up this mornin’
There were tears in my bed
They killed a man I really loved
Shot him through the head
Lord, Lord
They cut George Jackson down
Lord, Lord
They laid him in the ground

Sent him off to prison
For a seventy-dollar robbery
Closed the door behind him
And they threw away the key
Lord, Lord
They cut George Jackson down
Lord, Lord
They laid him in the ground

He wouldn’t take shit from no one
He wouldn’t bow down or kneel
Authorities, they hated him
Because he was just too real
Lord, Lord
They cut George Jackson down
Lord, Lord
They laid him in the ground

Prison guards, they cursed him
As they watched him from above
But they were frightened of his power
They were scared of his love.
Lord, Lord,
So they cut George Jackson down.
Lord, Lord,
They laid him in the ground.

Sometimes I think this whole world
Is one big prison yard
Some of us are prisoners
The rest of us are guards
Lord, Lord
They cut George Jackson down
Lord, Lord
They laid him in the ground

せっかくなので、和訳も載せたいですが、ネットで公開されていないものは、著作権の問題もありそうなので、我流の拙訳でご容赦ください。
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今朝目を覚まして
ベッドで泣いていた
奴らは僕の大好きな男を殺したんだ
その頭を撃ちぬいたんだ

主よ、主よ
彼らはジョージ・ジャクソンを殺したんです
主よ、主よ
彼らは彼を土に埋めたんです

70ドルを盗んだ罪で
彼を牢屋に押し込んで
その後ろで扉を閉めて
その鍵を投げ捨てたんだ

主よ、主よ
彼らはジョージ・ジャクソンを殺したんです
主よ、主よ
彼らは彼を土に埋めたんです

彼は誰からも侮辱されることを許さなかったし
誰の前でも頭を低くしたり、ひざまづいたりすることが無かった
権力者は彼を憎んでいた
彼がただ、あまりにも偽りを拒む人間だったから

主よ、主よ
彼らはジョージ・ジャクソンを殺したんです
主よ、主よ
彼らは彼を土に埋めたんです

看守たちは彼を罵った
上から彼を見下ろしながら
でも、奴らは恐かったんだ、彼の力が
恐ろしかったんだ、彼の愛が

主よ、主よ
だから、彼らはジョージ・ジャクソンを殺したんです
主よ、主よ
彼らは彼を土に埋めたんです

ときどき、僕は思う
この世界は全体で大きな一つの監獄じゃないかと
ある者たちは囚人で
残りの人たちは看守なんじゃないかと

主よ、主よ
彼らはジョージ・ジャクソンを殺したんです
主よ、主よ
彼らは彼を土に埋めたんです

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では、英語の歌詞を解説してみます。

まず、最初の、I woke up this mornin’という始まり方。これは非常によくあるブルースの歌詞の歌い出しです。そして、途中で入るLord, Lordという呼びかけもブルースやゴスペルの形式です。
で、ブルースなら、「朝起きたら、女がいねえ」とか「朝起きたら、靴がねえ」とか「朝起きたら、ブルースが部屋の中を歩きまわってた」とかいう風になるんですが、この詞の場合はそこから社会事件が語られるわけです。この社会事件を語るというのは、イギリス系アメリカ人の民謡に見られるバラッドという歌の形式です。
つまり「偉大な米国の歌の伝統」に則っていながら、ブルースとバラッドという異質なものを組み合わせているわけです。

ボブ・ディランは60年代にバラッド形式のフォークソングを多く書いているので、おそらく、この事件を歌にしようと思ったときも、バラッドの形式が念頭にあったことでしょう。しかし、この歌のテーマを考えたときに、歌い出しや、サビの部分に、ブルースやゴスペルという要素を入れたかったのではないでしょうか。

そして、次のポイント。英語の詩なので脚韻を踏むのは当然なのですが、ボブ・ディランの場合その韻の踏み方が非常にうまい。

まずサビの下記の部分。

Lord, Lord,
They cut George Jackson down.
Lord, Lord,
They laid him in the ground.

感情を込めて、声に出して読むとわかりますが、 downとgroundというのは「倒した」という部分と「地面に」という部分なので意味的にも強調したくなる、強く発声したくなる部分なのです。

※この場合、groundのdはほとんど発音しませんので、音的には韻を踏んでいます。

他にも、下記の箇所では aboveとloveで韻を踏んでいます。

Prison guards, they cursed him
As they watched him from above
But they were frightened of his power
They were scared of his love.

これも、「上から」見下ろしたという部分と、「愛」を怖がったという部分で一番強調したい部分です。とくに最後のloveは一番訴えたい言葉なので、それを韻を踏ませて最後に持ってくるというのは見事です。

このように技巧的にも見事なわけですが、なによりも文学的にすごいと思うのはこの曲の構成と、最後のパートです。

この歌の順番では、まず、目が覚めて泣いているという自分自身にフォーカスが当たっています。
次に、ジョージ・ジャクソン事件の顛末が描かれ、視点は客観的な事件の描写へと移ります。
そして各パートごとにLord、Lordと神への問いかけが入ることで、視点がより高次なものへと移ります。この祈りには、絶対的な権力の前で、その非道をどうすることもできないという諦めと悲しみが表れていて、これはブルースやゴスペルに通じるものでもあります。

順番としては、自分 ⇒ 社会 ⇒ 神 といったように、個人からより広い世界へと視点が移動する感じです。

これは、歌を聞いていると実際に情景として、

・自分:ベッドに起き上がった男の姿
・社会:ジョージ・ジャクソン事件の様子
・神:ジョージ・ジャクソンの亡骸と神へ祈る姿

が、まるで映画のように浮かんでくるのです。

そして、最後にその情景はまた、ベッドに起き上がって泣いていた男にもどってきます。

---------------------------------------
Sometimes I think this whole world
Is one big prison yard
Some of us are prisoners
The rest of us are guards

ときどき、僕は思う
この世界は全体で大きな一つの監獄じゃないかと
ある者たちは囚人で
残りの人たちは看守なんじゃないかと
---------------------------------------

必殺のフレーズです。見事な比喩。深みのある洞察と、広がりのあるイマジネーション。
ここで、この歌はジョージ・ジャクソン事件の歌から、普遍的な世界や社会の姿を歌っているものに変わります。
そこで浮かんでくる情景は、人それぞれに違うものでしょう。
身の回りのことだったり、遠い国の現状だったりするでしょう。
その広がり、その普遍性が、ボブ・ディランの歌詞が特別な文学性を持っていると言われる点だと思います。
もちろんこれは、伝統的なブルースやフォークの歌詞、またボブ・ディラン以前のポップミュージックの歌詞には見られない表現です。
この歌では歌詞のどこにも難解な表現や難しい単語は出てきませんが、その中でこれだけの詞を書いているということです。

とはいえ、一番すごいのは、これがボブ・ディランの歌の世界のほんの一部だということで、他の曲では、圧倒的にシュールなイメージが繰り広げられるものや(ブロンド・オン・ブロンド)、言葉遊びのようなナンセンスな歌詞(地下室)もあり、感情を掻き乱されるような恋愛に関する歌(血の轍)も多い。カバーも結構しています。

その一つ一つが質的にも量的にも圧倒的な作品群としてディランの歌の世界を形成しています。そして、それは全てアメリカの民衆の声として、バラッドでもブルースでも、移民として、あるいは奴隷としてやってきた人々がアメリカという国を作る中で歌い継いできた歌を源流として、自らはユダヤ人であるディランがその身体を通して現代に発している声なのです。


「偉大な米国の歌の伝統に、新たな詩的表現を創造した」

ボブ・ディランノーベル文学賞を授賞した理由が、新聞記事やワイドショー、Naverまとめを読んでよく分からなかった人に、少しでも、その歌の魅力が伝われば幸いです。

あ、そうそう。音源も貼っておきます。

videopress.com

このバンドバージョンは、フォークとゴスペルの要素が組み合わさっていて面白いのですが、歌自体は、弾き語りの方が訴えてくるので、音源が欲しい方は、アコースティックバージョンもお勧めします。ちょっとレアな曲なのですが、サイド・トラックスというアルバムに入っています。
このアルバムは、レア・トラック集なので、最初の一枚というにはアレなのですが、いい曲ぞろいで年代も広くカバーしており、アコースティックバージョンが多いので、歌詞を味わいたい人には結構いいのではないかと思います。

 

最後にもう一点だけ。

ディランはある時期から、歌詞を見ながら歌を聞くことは歌の勢いをそぐことになるという理由で、アルバムに歌詞カードを付けることをやめています。また、歌詞だけを読んで、ごちゃごちゃ言われることを嫌がっていた時期もあります。

ノーベル文学賞受賞について、今もコメントをしていないボブ・ディランですが、自分の詞は歌われて初めて成立するものだという信念があることは確かなようです。

瀬戸内国際芸術祭「大島」へ行って来ました。

先週末、瀬戸内国際芸術祭の開催地のひとつである大島に行って来ました。
芸術祭の開催地とは言っても、大島の場合は他の瀬戸内の島のようにアート体験を目的とするものとは少し趣が異なっています。

面積61ヘクタール、良くある言い方だと東京ドーム約13個分の広さの大島には、日本に13施設ある国立ハンセン病療養所のひとつ大島青松園があります。

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1909年(明治42年)に療養所がつくられてから、ハンセン病患者の隔離政策のもと、のべ4000名近くのハンセン病患者が入所し、約半数がこの島で生涯を終えています。
ハンセン病はもともと極めて感染力が低い上、治療法も確立されており、適切な治療を受けて治癒した患者からは感染の恐れのない病気ですが、日本では1996年に「らい予防法」が廃止されるまでは患者の隔離政策が取られ、一般の人が療養所に行き来することも自由にはできませんでした。

現在では数十人の入所者全員のハンセン病に関する基本治療は終了していますが、平均年齢83歳とすでに高齢であり、島での生活が長いため、患者ではなく入所者として、そのまま島に居住しているとのことです。

瀬戸芸では2010年の第1回から大島も開催地としてアート作品の展示と、その歴史や、入所者のかつての生活などを見学するツアーを開催しています。

通常は月に2日ほど見学の機会があるそうですが、芸術祭期間中は、高松港から毎日3便の高速艇が無料で出ており、見学希望者は「高松港総合インフォメーションセンター」で整理券を受け取って、ツアーに参加することになります。ツアー自体は高松港を出発して島をめぐり、また戻ってくるまでトータルで2時間ほどでした。

20名ほどの参加者と一緒に高速艇に乗り込み、高松港を離れると波しぶきをあげて、大島をめざしました。

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位置的には、高松からすぐ近くの島なので、20分ほどで大島が見えてきます。
上陸するとすぐに受付で参加賞をもらい、芸術祭のボランティア、こえび隊のガイドの方による、ツアーが始まりました。

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ガイドについて歩き始めるとすぐにスピーカーからずっと流れている静かな音楽に気が付きます。
これは、盲導鈴というものだそうで、ハンセン病は進行すると失明など視力に後遺症が残るケースがあるため、目の不自由な入所者のために、地区によって異なる音楽をずっと流しているのだそうです。この盲導鈴と、道沿いに腰くらいの高さに設置された盲導柵、そして道の中央に引かれた白線が、大島3点セットと呼ばれているそうです。

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今回の瀬戸芸では、食がひとつのテーマとなっており、大島でもカフェシヨル(さぬき弁でシヨルは「している」なので、「カフェやってます」のような意味?)というカフェで、地元の材料を使ったスイーツや、ドリンク、ランチなどが食べられます。

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このカフェは大島でのアートプロジェクト「やさしい美術プロジェクト」の一環として名古屋造形大学が中心となって2013年に作られ、大島で採れた果実で作られたお菓子やドリンクを、大島の土で作った器で食べられるそうです。島外からの訪問者、入所者、療養所の職員が、隔てなく集う場所として運営されているようです。

カフェを過ぎ、道沿いに小山をのぼっていくとすぐに右手に海が見えます。その眼下には、入所者が利用する共同浴場があります。

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そして、そのまま細い道をさらに登っていったところに、納骨堂と石碑が建てられています。
かつてハンセン病を患った人々は、差別の対象となったため、療養所に入る際に、家族との縁を切ってきたと言います。そのため、亡くなった後に入る墓が無く、その骨を納めるための納骨堂が、日本にある13の療養所すべてに設けられています。この大島の納骨堂には1500人の骨が納められているそうです。
ツアー参加者全員で、黙とうした後、入り口の外から少し中を見ることができましたが、割と最近改装されているのか、内装がとてもきれいに作られていたのが印象的でした。

その納骨堂のすぐ横にある石碑のひとつには、胎児の碑があります。
かつて療養所内での患者同士の結婚は許されていましたが、子供を持つことは許されなかったため、生まれることが出来なかった胎児のために、この石碑が建てられています。
その横には、亡くなったハンセン病患者の碑、そしてハンセン病の救済事業に尽力した、かつての大島青松園の園長である医師小林博士の碑がありました。
小林博士は医師ですが、一般的には、ハンセン病療養所では、治療よりも監視、管理が優先されたため、警察官僚のOBが所長を勤めることが多かったそうです。

納骨堂と石碑のある丘を反対側に下っていくと、石仏がならんでいます。

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これは島の中でも、八十八か所巡りの遍路ができるように、各寺から寄贈されたもので、実際に八十八の石仏があるようです。大島では入所の際、仲間を作るために仏教か、キリスト教かどちらかの団体に所属することが推奨されたそうです。


そこからほどなく行くと、入所者の住居があります。小さなアパートのような部屋が並んでいました。かつて、入所者数がピークの昭和18年には、740人の入所者がおり、24畳の部屋に12人が寝起きしていたそうです。

そして、ツアーの最後の場所、元入所者の住居を改造した場所には、アート作品の展示スペースがあります。
絵本作家、田島征三さんの作品と、ギャラリーとして、入所者の使っていたカメラや撮影した写真、釣りなどを楽しんだ木船、入所者が読んでいた本などが展示されています。

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ハンセン病を患い大島に来ることになった人たちが、この島でそれぞれの人生を過ごす中で、それぞれの生きがいや楽しみとして使っていた道具には、その内側にその持ち主の時間がいまも流れているようで、じっと見ていると、その道具が使われている様子や、その持ち主が見ていた光景が一瞬浮かぶような気がしました。


特に、入所者が読んでいた本とともに展示されていた、入所者が書いた詩や短歌、小説などの文学作品は、少し目を通しただけでも、ただの気を紛らわせるための趣味から遥かに遠く、文学としての深い精神性を感じさせるものでした。後で、調べてみるとこの大島からは、他の文学者からも高く評価され、全国区で活躍した作家や詩人など、非常に高い文学性を持った作品が多く生まれているようです。入所者の味わった体験、重ねた思索から、そういった文学的な作品が生み出されていったということだと思います。

そのアート展示の空間の間に、潮に洗われた石の台が置かれています。これは、かつて亡くなった患者の解剖に使われていた解剖台なのだそうです。

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ガイドの方によると、入所時に解剖への同意書にサインをさせられていたという話でした。
年月が経ち、ゴミとして海岸に放置されていたものを、この場所に置き直して展示されているということです。
波と風の音だけが穏やかに聞こえる中で、手洗い場のように置かれた石が、人間の解剖台であるという事実には、シュールな非現実感とともに、言葉を失わせるような悲しさを感じました。

この島を歩いてみると、 ハンセン病の歴史、大島の歴史は、見学者として単純な憤りを覚えるにはあまりにも深く複雑で、過去として傍観するにはあまりにも近く感じます。そして、暗鬱になるには、島の人や空気はあまりにも静かで穏やかでした。

しかし、多数にとって何か都合の悪いものを見えないものとして隠そうとする傾向や、根拠のないルールであっても、過ちを認めて改善することを避けようとする無責任さや、権威によって決められたものを、雰囲気の中で受け入れるともなく受け入れてしまう習性など、そこには、今も変わらない日本人の特質として省みるべきものがあるのではないかと思います。

そして、それにもかかわらず、自分自身がこの島を歩くときに感じる静かな気持ちも、これもどこか日本人的な感性なのかもしれないとも思いました。

ガイドツアーが終わると、残りの時間はアート作品や島の散策、カフェなどで時間を過ごし、スタート地点にもどり、また高速艇に乗って高松港にもどりました。
アクティビティのような楽しいアートツアーではありませんが、ただの社会見学とも違い、何か貴重な静かさを感じる時間でした。
大島をアートの島と呼べるかどうかは分かりませんが、その体験は確かに真摯な芸術作品に触れたときの気持ちと通じるものがあるように思いました。 

setouchi-artfest.jp

兵庫県立美術館「1945±5年」を観ました

昨年、戦後70周年を機に色々なところで話題になり、雑誌などでも特集されていた戦争画。個人的にも昨年は横浜美術館や浮世絵太田記念美術館などで、戦争画の企画展を観ました。
そして、戦後70年は一旦区切りがついた今年になって、兵庫県立美術館でこの企画展が開催されたということになります。ストレートに「1945±5年」と銘打って、戦前、戦中、戦後の日本の画家たちの活動と作品を200点で検証するという骨太の展示です。

もう一つ付け加えると、先月まで、国立国際美術館でやっていた「森村泰昌:自画像の美術史」でも今の現代美術のテーマとして、戦時下という状況で描かれた松本竣介の作品に重要な位置づけが与えられており、戦争画とは戦後70年の期間限定の話題ではなく、現代に深く関わる問題であるという認識は、共有されているのではないかと思います。

さて、展覧会自体は、まさにその松本竣介の作品で始まっていました。
今回の展示では、多くの作品が戦意高揚に協力的ないわゆる「戦争画」だったわけですが、その中で、明確にではなくとも戦時下での画家、芸術家にたいする、戦争協力の圧力に抵抗していたと思われる松本俊介を最初に持ってきているところに企画者の意図を感じました。


実際、小磯良平や、藤田嗣治といったもっと有名な画家の絵もありましたが、それがどれほど美的に優れていたとしても、戦意高揚を前提としたものであれば、今芸術として素直に受け止めるのは鑑賞者の心理として無理があります。そういった不安定な気持ちでの鑑賞を強いられる中で、街の上に暗く不気味に覆いかぶさるような国会議事堂を描いた「議事堂のある風景」を含む松本竣介の作品は、純粋に芸術として向き合えるという意味で、この企画を絵画展として成立させるために重要な役割を持っていたのではないかと思います。

展示全体の構成としては、時代別に、戦前、戦中、戦後にわかれ、さらにそれがいくつかのテーマで区切られていました。
戦前の作品群は比較的オーソドックスな洋画が中心ですが、戦中になるにしたがって徐々に絵のモチーフは時局を描いたものに固定されていきます。
それでも、出征先の街の風景を描いた小品などからは、たとえそれが日本の植民地の風景を国民に報せるという政府の意図があったとしても、露骨な戦意高揚という印象は受けず、前田藤四朗の沖縄、満州を描いた作品や、森堯之のハルビン、ロシアを描いた作品には、エキゾチックな風物への素朴な興味と、それを描きたいという芸術家としての純粋な欲求があるような気がしました。


しかし、次に伊谷賢蔵の「楽土建設」という作品が現れたときには、そのタイトルもさることながら、非常に複雑な印象を持ちました。
力強く生き生きとした中国の農村風景と少女が描かれた大作で、その画面から受ける印象はとてもヒューマニスティックで明るいのですが、その少女の手には日の丸があり、その土地が日本の楽土であるという政治的なニュアンスを結果として与えるようになっています。
ただその一方で、絵画として見た印象からはどうしても、その作品が戦意高揚の目的だけで描かれたとは思えず、確かに画家には、中国の農村の土地や人々に対する共感と、芸術家としての人間的な表現欲求があるように思えました。その二つは、この時代の画家の意識の中では矛盾なく統合されていたのか、あるいは戦争協力的な要素は妥協とカモフラージュの結果なのか。その問いは、この後の展示で戦中の「戦争画」作品を観る上で、ずっと引っかかりました。

いくつかの作品は、露骨に戦意高揚、国威発揚、国家アイデンティティの強化のための宣伝的なものであり、そういったものは、芸術的な感動とは程遠いため、資料としてある意味で安心して観て過ぎることが出来ます。また、特にシュールレアリスムの作品群では明らかにカモフラージュとして体制側のモチーフを取り入れていたりして、それはそれで理解することが出来ます。
しかし、藤田嗣治もそうなのですが、多くの特に戦闘を描いた作品には、特殊な状況下での奇妙なリアリズムと、絵を描くことを仕事とした人間の業のようなある種の情熱を感じます。
とはいえそれは、絵画を観るときに感じる一般的な感動とは異質のもので、決して絵に没入することはできず、鑑賞者自信の倫理感も常に問われているという非常に不安な気持ちで鑑賞を続けることになりました。

戦後作品のエリアになると、破壊された文明と敗戦の現実、戦争の記憶、そして抑圧からの解放が主要なテーマとして現れてきます。

戦後の作品になると絵を観る上で、その画家を縛っている権力の影を感じることはなくなっていくのですが、一部の作品では反対に戦後の政治的なイデオロギーが芸術以前の動機として感じられる作品もあり、そこでも、絵画全体に網がかけられ、鑑賞者がその網の中に入っていって作品を観ているような重たさがありました。

戦中エリアの作品でもそうでしたが、個人的には風景のスケッチのような、テーマにおいても物理的なサイズにおいても小さい作品が、画家が自由に描いているようでほっとするものだった気がします。

その意味では、展示の一番最後に置かれていた浜田知明の小さな作品「聖馬」では、その小さな額縁がまるでのぞき窓のように感じられ、その奥に個人的な戦争の記憶とシュールレアリスム的な実験の結合が、画家の想像力によって芸術として実現されているように思えました。

それは小さな窓としての絵画を通しての精神の解放とも感じられ、それがこの絵画展の最後の作品であっただけにある種の救いのようで感動的でした。

全体を通して、通常の絵画展を鑑賞するのとは大分異なる体験でした。

普通は例え重いテーマを扱った作家の個展でも、そこには作家の自由な表現としての芸術作品に対面するある種の喜びがあるものです。

しかしこの「1945±5年」展では、それが戦争画であるという前提を忘れて純粋に色彩や形態を観ることは不可能であり、絵を描いた画家の位置と絵の前に立った自分の位置を常に考えざるを得ませんでした。


それが、この企画展の意図したものなのかは分かりませんが、おそらく鑑賞者がどのように感じるのか、どのようにこの展示を観るかというのは、他のどの絵画展よりも、予測するのは難しかったのではないでしょうか。実際、鑑賞者それぞれでかなり異なった感想が出てくるのではないかと思います。はっきり言えることは、これは決して安心して観られる絵ではないということで、それはもしかしたら結果的に、現代美術がはらんでいるはずの現代の鑑賞者の価値観や歴史観を揺さぶり疑いを投げかけるということと、共通するものを含んでいるともいえるのではないでしょうか。

一方で、こういった絵画が当時どうやって人々の目に入っていたかという点では、意外な発見がありました。
戦争画というのは、当時の新聞や雑誌などの印刷物での広報に利用されていたものと思っていたのですが、実際は、新聞社や政府が主催する聖戦美術展、大東亜戦争美術展、戦時特別美術展といった展覧会が全国を巡回し、相当な入場者を集めたようです。当時様々な規制がある中で、絵画展というのはある意味では貴重な文化的催しの機会だったのかもしれません。
また、当時の政府にとっては、イメージによる民衆意識のコントロールという意味で、視覚表現の与える効果というものに有効性を感じていたものと思われます。
前線や白兵戦を描いた戦争記録画などは、写真や想像をもとに描かれたものがほとんどだということですが、写真そのままよりも、それをもとにした絵画の方が効果的な面があったということでしょう。
そう考えると、当時の入場者の中には、こういった体制や時世の圧力で描かれた「芸術」に戸惑いや、不安を覚える鑑賞者もいたはずで、現代のこの「1945±5年」展の鑑賞体験はその疑似体験といえる部分もあり、そこからもこの企画展が単に資料としてではなく、現代性のある問題意識を持った企画だったと言えるのではないかと思いました。

 次は広島市現代美術館に巡回するようですので、興味を持たれた方は足を運んでみてはいかがでしょうか。今後は、なかなか観る機会の無い企画展だと思います。

https://www.hiroshima-moca.jp/the1945/

ボブ・ディランのジャパンツアー2016が最高である理由

只今、絶賛来日中のボブディラン、74才。もうすぐ75才。

シナトラのレパートリーを中心としたスタンダード曲と、主に「テンペスト」からの近作半々の構成で、評判も上々です。今回のツアーでは、大阪フェスティバルホールの3daysを鑑賞しましたが、個人的にも今回の来日公演はこれまでで最高だと思います。

ちなみに僕がこれまで見たボブ・ディランのコンサートはこんなところです。

1994年 大阪城ホール

1997年 倉敷市民会館

2004年 PHOENIX CONCERT THEATRE, Toronto

2010年 Zepp Osaka×3

2014年 Zepp Namba×3

2016年 大阪フェスティバルホール×3

したがって、来日公演としては、1978年、1986年、2001年は観ていません。良く考えるとネヴァーエンディングツアーが始まって以降の公演を見てきたということになります。したがって、今回の来日公演は、これまでのネヴァーエンディングツアー来日公演で最高だ!としておきましょう。

※ちなみに良かった順番をつけるとすると、ほぼ最近になるほど良いということになります。

では、どこが最高なのか?さっそく、説明させてください。

1.音響が良い。

まず、前回、前々回のZeppツアーも最高だったという前提があります。ステージ前に陣取って、スタンディングで、ボブ・ディランの曲、「ハイウェイ61」で、「ライク・ア・ローリング・ストーン」で、「デューケイン・ホイッスル」で、踊りながら熱狂できるというのは最高でした。

しかし、そこはあくまでライブハウス。チャーリーのギターもリセリのドラムも熱気と一緒に感覚に訴えかけ、体を動かすもので、アンサンブルを聞くというものではなかったと言えます。

それに比べると今回の公演は、各県で、全国屈指の音の良いホールを選んでのパフォーマンス。スタンダード曲でのボブの精妙な唱法から、各楽器の繊細なアンサンブル、テンペストからのロックンロール曲の見事なドライブ感まで、じっくり味わうことが出来ます。

2.周りを気にせず座って観られる

なにしろ、座席指定のホールツアーなので、スタンディングのように、隣に押されたり、前に突然ノッポが表れて背中しか見えないというようなことが起こりません。

歌に、音楽に集中することが出来ます。

3.歌詞が味わえる

今回のツアーはセットリストが固定です。前々回の日本公演までは、日替わりで半分くらいの曲を入れ替えていましたが、ここ数年はどこでもほぼ固定のセットリストでやっているようです。

理由としては、

  1. 予定調和を一番嫌うボブなので、日替わりを期待されることが嫌になった。
  2. 即興性よりも、今一番歌いたい歌に絞って完成度を高めることに興味が移った。
  3. 年齢的にたくさんの曲の歌詞は出てきにくくなった。

あたりが考えられますが、2あたりが正解かなあと思います。3の理由だったらファンにとってはショックかもしれませんが、今のボブは老いること、それによって失っていくものも歌のテーマとして表現していると思いますので、それであのパフォーマンスをしてくれるのであれば、個人的には全然ありな姿だと思います。

そして何より、僕はこのセットリスト固定の最大のメリットは、歌詞を予習できることだと思います。以前のように、日替わりで何の曲をやるか分からないという状況だと、あの膨大な曲からさらに膨大な言葉の集積を予習しようという気にはなれません。

しかし、明日やる21曲が分かっているんだったら、確実に予習できるはずです。

21曲は無理という方にお勧めするとしたら、Blowing in the windは当然として、それ以外では、 終盤で歌われるScarlet Town、Long And Wasted Years あたりは歌詞を理解しておくと、歌の凄みと味わい、受ける感動が大きく違うと思います。特に、Long And Wasted Years はもう、泣きます。スタンダード曲も歌詞はシンプルなので、一通り目を通しておくと良いと思います。

歌詞を見るには公式サイトもありますが、Geniusがおすすめです。

Blowin' in the wind は動画も埋め込みで見られます。

もちろん、ホールツアーで音が良いので、歌に集中して歌詞をじっくり味わえるということも言えると思います。

4.バンドのクオリティが半端ない

今のバンドのメンバー、チャーリー・セクストン(G)、トニー・ガルニエ(B)、ジョージ・リセリ(Dr)、ドニー・ヘロン(Pedal Steel / Banjo etc.)というのは、かなり長い間、レコーディングにライブに、ボブを支えている面子です。Zeppツアーでも同じメンバーで、深みのある最高なロックンロールを聞かせてくれましたが、今回のとくにスタンダード曲での繊細なアンサンブル、そしてテンペストからの曲などでのブルージーなプレイの迫力は、これまたホールの音響と相まって圧倒的です。さらにチャーリーの自在なフレージングが花を添えています。ボブがいくら自由にタイミングやメロディーを崩してみても、このバンドはすぐにアジャストし、ボブの歌を支えます。これは、バンドからのボブの音楽、歌への特別な敬意と、ボブのバンドへの完全な信頼があるからこそのことだと思います。

5.新しいボブの歌の世界が聴ける

スタンダード曲集のアルバムとしては、最新の2作、Shadows in the nightと来日記念版のメランコリームードの2枚がありますが、この中の曲が、ライブであれほど良いとは正直思っていませんでした。

スタンドマイクで斜めに構え、遠くを見つめながら「枯葉」を歌い上げるボブ。あのボブ・ディランのそんな姿を60年代、70年代、80年代、90年代、2000年代の誰が想像したでしょうか。そして、その歌に病みつきになるような魔力があると、2014年の誰が想像したでしょうか。

これは、全く新しいボブの歌の世界であり、だからこそ、まさにボブ・ディランだと言えると思います。

ボブ・ディランが他のベテランアーティストと違うところは、次に出すアルバムが最高傑作かもしれないと今でも思わせるところだ」と誰かが言ってましたが、要するに、その年齢でしか出来ないこと、その時代でしか出来ないことをやるので、それが最高傑作になるということだと思います。

「自分の作ったレコードを聞き返すことは無い。自分のコピーをするようにはなりたく無い。」- ボブ・ディラン

60年代にやっていた音楽はその時点でのボブ・ディランがやっていたから最高であり、今のボブ・ディランがやっていることは、74才のボブが2016年にやるから最高なのです。今のボブに「追憶のハイウェイ61」は作れず、60年代のボブに、「Shadows in the night」は作れないのです。

特に今回のスタンダード曲を大幅に取り入れたステージは、ボブの後ろに見える巨大なアメリカポピュラー音楽の遺産、アイリッシュトラッドから、フォーク、ブルース、ジャズ、カントリー、リズム&ブルース、ゴスペル、ロックンロールを引き継ぐ最終ランナーとしてのボブの姿に、アメリカンスタンダード、そしてフランク・シナトラという、もうひとつの大きな遺産を加えるものだと思います。

6.「風に吹かれて」が聴ける

最後に言いたいことはこれです。アンコールで歌われる「風に吹かれて」。

これは、史上最高のバージョンだと思います。

74才の今また、あの歌詞を一つ一つ大切に伝えようとしているのが分かります。

これまでにも、いろいろな優れたバージョン、カッコいいバージョンがある曲ですが、歌詞をここまで丁寧に語りかけるように歌うのは、20歳の最初に作ったころ以来ではないかと思います。

1962年に20歳のボブディランが書いた歌。最初にHow many years?と歌ってから53年が過ぎたことになりますが、今も世界では、人の自由は奪われ、大砲の弾は飛び、人は死にすぎていて、答えは風に舞っています。

50年以上歌い続け、最後かもしれない来日公演で74歳のボブが今問いかけるHow many years?

The answer, my friend, is blowing in the wind
The answer is blowing in the wind

もし、少しでもボブ・ディランに興味があるなら、これを聞くだけでも今回の来日ツアーを観る価値があると思います。


How many roads must a man walk down
Before you call him a man?
How many seas must a white dove sail
Before she sleeps in the sand?
Yes, and how many times must the cannonballs fly
Before they're forever banned?
The answer, my friend, is blowing in the wind
The answer is blowing in the wind

How many years can a mountain exist
Before it is washed to the sea?
Yes, and how many years can some people exist
Before they're allowed to be free?
Yes, and how many times can a man turn his head
And pretend that he just doesn't see?
The answer, my friend, is blowing in the wind
The answer is blowing in the wind

How many times must a man look up
Before he can see the sky?
Yes, and how many ears must one man have
Before he can hear people cry?
Yes, and how many deaths will it take till he knows
That too many people have died?
The answer, my friend, is blowing in the wind
The answer is blowing in the wind

 

今回の来日ツアーも、現時点で残りは東京オーチャードホール2公演とパシフィコ横浜の1公演。

僕も大阪での公演をこれで最後かもしれないという気持ちで観ましたが、でも、やっぱり、また来日してほしいと切に願います。

そして、もうひとつ、日本公演でなくてもよいので、この素晴らしいステージをライブ盤としてリリースしてくれないかと思うのです。

京都国際舞台芸術祭 KYOTO EXPERIMENT 2016 感想(トリシャ・ブラウン、マヌエラ・インファンテ/テアトロ・デ・チレ、ボリス・シャルマッツ/ミュゼ・ドゥ・ラ・ダンス、足立智美 × contact Gonzo)

京都国際舞台芸術祭 KYOTO EXPERIMENT 2016 感想、最後の回です。

トリシャ・ブラウン・ダンスカンパニー「Trisha Brown: In Plain Site」

ポストモダンダンスの旗手として60年代にアートや現代音楽とのコラボレーションを展開、コンテンポラリーダンスの世界では最重要な振付家である」というような情報から、これは今年一番楽しみにしていました。

京都国立近代美術館のロビーと階段が舞台で、僕が鑑賞したのは夜の回。

観客は舞台となるスペースの周りに輪になって鑑賞し、ダンサーと舞台が移動するたびに、一緒に移動する形式でした。

開演前に、音を立てなければ、写真撮影OKという案内がありましたが、実際に写真を撮る人は少なく、撮るときも控えめでした。

どれもこれも写真にとってシェアしたくなるような、ある意味ポップでおしゃれなダンスだったのですが、皆ダンスそのものに集中していたようで、観客数は200人程度で決して多くはないですが、本当にダンスを観たい人が集まっていた感じでした。

今回の舞台は、60年代のカンパニーの作品のオムニバス形式で、シンプルな白い衣装、美術館の背景もあいまって、非常にミニマルな演出。ダンサーたちも微笑んでいて、ある意味、かわいいともいえるダンスでした。

ダンサーたちの動きそのものはタイミングや角度など、計算され、訓練されたとおりに動いている感じで数学的。3人から4人が同時に踊るのですが、一定の距離を保ちながら、重なったり、離れたりする動きは、無音の作品でも音楽的でした。仰向けに寝て隣が見えない状態で音楽も無い中、あれだけ正確に動きがシンクロしているのは、よく考えるとすごいことだと思うのですが、それがとても自然に見えて、ダンサーの動きひとつひとつが五線譜の上の音符のようでした。

いくつかの作品にはテーマ曲もあって、その選曲も60年代のポップスなどでラブリー。音のリズムや音程などより、その曲の雰囲気を活かしたダンスという印象で、トリシャブラウンの音楽の趣味が出ているのでしょうか。

別の見方としては、シンプルで計算された動きが繰り返されるところは、なんとなく、ファミコンとかGIFアニメを連想させるようでもありました。

KEXで観られるダンス作品では過激な方向でのエクスペリメント(実験)が多いのですが、60年代におけるダンスの実験としての、徹底してミニマルで批評的なユーモアのある世界は新鮮で、その優しい世界に癒されました。

今回のKEXでは個人的に最も好きな作品でした。鑑賞者が少なかったのが勿体ないなと思います。

 

マヌエラ・インファンテ/テアトロ・デ・チレ「動物園」

 南米チリの演劇。チリという土地の植民地としての歴史から、今に続く文化的アイデンティティーの問題を、原住民と研究者という2対2の人物が演じる役柄を通して描いたものでした。

セリフはスペイン語なので、舞台上方の電光掲示板に日本語訳が流れるスタイル。これまでにも何度かこの形式での舞台を観ましたが、セリフの多い芝居では正直どうしても字幕を追ってしまい、なかなか入り込めません。今回の芝居では、この字幕を活かした演出などもあったのですが、個人的にはやはり全く分からない言葉での舞台にはまだ慣れていないというのが正直なところです。

脚本、そして演出には、劇中の人物の間、そして演者と観客の間の、観る側と観られる側の関係性を揺さぶるような仕組みがありますが、本来はチリの鑑賞者を想定したもののためか、そのラストなども含めて、今回は少し距離を感じました。

今年の秋にまた、この作品を日本語版としてリメイクしたものが上演されるようですが、そちらの方がおそらく日本の観客にとっては分かりやすいものになるのではないかと思うので、機会があったら見てみたいと思います。

 

ボリス・シャルマッツ/ミュゼ・ドゥ・ラ・ダンス「喰う」

ダンス公演で春秋座が会場というのは、意外な感じがしましたが、始まってみればなるほど、観客全員が緞帳の裏の舞台に連れて行かれました。つまり観客も舞台上でダンサーと一緒になって、その中でダンスを観る形式でした。

KEXの演目では以前にも、マルセロ・エヴェリンの「突然どこもかしこも黒山の人だかりとなる」という作品で、同様のスタイルが用いられていました。

ただ、この作品では、マルセロ作品のように観客が巻き込まれるわけではなく、むしろ雑踏のようにランダムに立つ人間の間で、その何人かが突発的にダンスを始めるといった形でした。日本だと外国人がダンサーなので、集団の中では最初から存在感があるのですが、西欧だと本当に普通の観客の中から突然ダンスが始まる感じになるだろうと思います。

ダンスと言っても動きは様々で、腕を噛んだり、叫んだりしつつ、特異なポーズを繰り返し変化させて、徐々に床に倒れ込んでいき、また起き上がったりするのですが、その間、常に、片手に掴んだ数枚の白い紙を小さくちぎっては口に入れていきます。つまり、タイトル通り実際に「喰う」ダンスでした。目の前で実際に大量の紙を食べていくので、それが安全な紙なのか、気にはなりましたが、口の動きや食べるという行為をダンスに取りこむというのは面白かったです。

また、実際に「喰う」以外に同じく口を使ったアクションとして印象的だったのが、歌うことでした。この歌が非常に効果的で、 観客の足下で痙攣的な動きを繰り返していたダンサーたちが、おもむろに美しいアンサンブルで合唱しだすと、不思議な感動が起こります。するとここで、それまでの展開にやや戸惑い気味でバラバラだった観客が、歌によって、ひとつにまとまる様な感覚がやってきます。

これは感動的であると同時に、それまであった既存のダンスを解体しようとする広がりが、情緒的な集団化にとって代わる危険も感じたのですが、その集団化は、それぞれのダンサーたちが、食べるという原初的な動作をダンスとして行うという奇異な光景を続けていることよって、回避されていたように思いました。

また中盤では、女のダンサーが男のダンサーの手足の上に、あるいは男のダンサーが男のダンサーの手足の上に、靴で乗り、逃れようと回転するところを逃さずに乗り続けるシーンがありました。その間もダンサーは紙を食べ続けます。また一瞬、他のダンサーに紙を食べさせるシーンもありました。「食べざるをえないこと。誰かに犠牲をしいても自分が食べること。誰かのために、食べさせてあげること。踊っていても、愛していても、憎んでいても食べること。」そんな言葉が浮かび、食べ物そのものである白い紙から、旧約聖書に出てくる神が民に与えた白い食べ物「マナ」を連想したりもしました。

最後にはきれいに舞台に落ちた切れ端まで白い紙を食べつくして演技は終了しました。

今回参加した、ダンサーはプロもいれば、役者もいるとのことでしたが、素晴らしいパフォーマンスだったと思います。

 

足立智美 × contact Gonzo「てすらんばしり」

今回のKEXで最後に鑑賞したのは、Experimentな音楽家の足立智美と、KEXではレギュラーとも言えるcontact Gonzoとのコラボレーションである「てすらんばしり」。なんとなく、KEXでは明るさを持った作品をスケジュールの最後に持ってきているような気がするのですが、この作品も子供たちの明るさに満ちた良い作品でした。

もっとも、KEXそしてゴンゾですので、子供たちをつまらない健全さには閉じ込めておかず、危なさ、もっとはっきり言えば身体、ダンスと痛みや暴力との接点も隠すことなく提示された上での、子供たちとのパフォーマンスでした。

念のために書いておくと、子供たちが出てくるシークエンスでは、大人同士でも平手打ちや相手を吹っ飛ばすような体当たりは無く、実際の身体の動作としては、鬼ごっこに興じる小学校の先生と児童といった趣でした。

ただ、その前の大人だけのシークエンスは本気のゴンゾ。さらに、今回は女性ダンサーも加わり、体当たりから、平手打ちまで、くったりくらわせたり。やっぱり見てて、ちょっと心配しましたが、もともと、コンタクトする側にもされる側にも、「手加減」とも重なりながら微妙に異なる身体のコントロール(振り付けといって良いんでしょうか)があるのが、ゴンゾのコンタクトなので、女性が入ることでそれに変奏が加わったような印象でした。特に、今回の舞台は客席との距離が近く、コンタクトのタイミングを図る息づかいまでよく分かりました。

そのコンタクトが、次のシークエンスで子供たちが駆け足で舞台になだれ込むと、いっぺんにほのぼのに反転したのは、やっぱり子供の身体のパワーではないかと思います。

また、子供たちのパフォーマンスには、ゴンゾとともに、足立智美の音楽的要素も同時に加わっていました。説明が難しいのですが、円形に広がった子供たちが、あらかじめ自由に描いた線を手に持って立ち、その中心で回転する足立智美が自分に向いたときに、子供たちが自分の描いた線の高低を音にかえて発声することで、音楽が生まれるという仕掛けでした。巨大な人力レコードという感じでしょうか。

ちなみに、あらかじめ他にもたくさんの子供たちがワークショップで描いた線を楽譜として、さまざまな物で鳴らした音がサンプリングされて、舞台の序盤で流されていました。ビジュアルも含めてとても楽しい音楽で、子供には「こういうのも音楽です」じゃなくて「これが音楽です」と教えてもいいんじゃないかと思います。その方が楽しいと思います。

そして、最後のシークエンスは、これも説明が難しいのですが、今度は中心を向いてワゴンに乗った足立智美を、中心に位置したゴンゾのメンバーがロープをもって回転させ、足立智美が叫ぶと、中心の天井から下がったテスラコイルから電子音で変換された声とともに、雷のような電磁波がゴンゾのメンバーの上に放出されるという、狂った(笑)趣向で、大いに楽しめました。

ひとつながりの構成全体を観ると、子供たちはダンスも音楽も体全体で演じているという点で変わりなく、シークエンス毎にどちらかが主体というよりも、音楽もダンス、ダンスも音楽ということかと思いました。

足立智美×contact Gonzo×子供たち」がとても良いコラボレーションだったと思います。

 

 という感じで、2016年春のKyoto Experiment、京都国際舞台芸術祭の個人的感想でした。実験的な舞台と言っても演目によってずいぶんその方向性も異なるので、自分が興味のあるものだけ見るのも良いと思います。とはいえ、何かわからないものを観に行って劇場で驚くというのもKEXの楽しみなのです。

今年はまた本来の会期に戻って、早速、秋にも開催されるということですし、過激さよりエンターテイメント性があるものが好みというような方には、歌舞伎の演目を現代の言葉、解釈で再生させる木ノ下歌舞伎もあります。

興味のある方、特に現代美術なんかが好きな方は、是非一度足を運んでみてはどうでしょうか。

www.cinra.net

京都国際舞台芸術祭 KYOTO EXPERIMENT 2016 感想(チョイ・カファイ、松本雄吉×林慎一郎、大駱駝艦)

京都国際舞台芸術祭 KYOTO EXPERIMENT 2016の感想、続きです。

チョイ・カファイ「ソフトマシーン:スルジット&リアント」

チョイ・カファイを観るのは2回目。前回観たのもKEXで、電極をつないだダンサーが、コンピュータから送られる電気信号で、有名ダンサーの動きを再現するという、文字通りのDance FictionとContact Gonzoとのコラボレーション作品であったSoft Machine

今回はSoft Machineシリーズからの他2作ということで、「スルジット&リアント」。

インドのダンサー、スルジットとのコラボレーション作品は、西欧でのアジアのダンスの受容のされかたとして、いまだにオリエンタルなものを期待される点をを皮肉りながら、伝統とコンテンポラリーの間で、オリジナルなダンスを模索する過程をそのままダンスの振り付けとして見せていました。作品としてチョイ・カファイの文脈にあるのはもちろんですが、そのテーマはスルジットありきの作品であり、彼のダンサーとしての個性が際立っていたと思います。

日本在住のインドネシア人のダンサー、リアントについての作品では、インドネシアと日本、男と女の間の境界線を越えるリアントの姿と、そのアイデンティティの不安定さを、ドキュメンタリー映像として見せながら、それに続くダンスでは、リアントの生身の身体によってその問題を、複数の性格が重なりあうようなダンスの中で表現していました。こちらも同じく、リアントありきの作品であり、特に女性のダンスから男性のダンスへと、目の前でダンサーのアイデンティティが入れ替わる瞬間がスリリングでした。

コンテンポラリーダンスの受容の状況や、作り手のプロセスを相対化して、最終的に作品として 提示するところは、現代アートに近いと思いますが、とはいえ、やはり訓練された身体によるダンス、伝統舞踊の深みにも直接感銘を受けるという多重性が面白かったです。

 

松本雄吉×林慎一郎「PORTAL

維新派は過去3度観ています。一度ははるか昔、数少ない箱モノ公演であった高松市立美術館での「少年街」、二度目は犬島でのMAREBITO、三度目が大阪中之島での「透視図」。

維新派以外の松本雄吉さんの舞台を観るのは初めてでしたし、林慎一郎さんの戯曲に接するのも初めてでした。今回のPortalは大阪の豊中が舞台として設定されているということで、林さんの戯曲でありながら、透視図などの維新派作品のテーマとも連続性があったと思います。

役者のセリフ回しや、動きなど、演出としては、維新派に近い印象を受けましたが、維新派独特の、少年たちと夢幻を旅しているようなロマンチシズムとはちょっと異なる、もう少しハードな印象でした。

舞台は、ゲームのステージと現実の豊中が二重写しになっているような迷路で、トカレフを手にした主人公が出口を求めて彷徨いますが、それは、生活と絡み合った土地のもつ閉塞感、重力からの跳躍の願望があるように見えます。

松本雄吉さんは最近、寺山修司中上健次の作品を取り上げていますので、土地の呪縛ということでは、共通点のある主題に思えます。しかし、寺山や中上の作品に現れるような実際に何かを破壊する人物たちとは違い、Portalの主人公の撃つトカレフの銃声も、腐っちまえという言葉も、最後まで何も破壊することはありません。結局自力では重力から逃れられず、様々な登場人物に引きずられ、その挙句自らの分身でもあり、メフィスト的な役割も持つDJに、投げ飛ばされてどこかへ飛んでいきます。

この主人公のある種の煮え切らなさが、いまの足元のリアリティなのだと思います。現代の住人にとっては、足下の土地の出来事も、ゲームのマップ上の出来事も同じようにリアルなのかも知れません。そこでは、いつまでも続くアプリのゲームのように、なにも決定的に破壊されることはなく、エンディングもなく、ひたすら迷路を彷徨うのかもしれません。

 

大駱駝艦「ムシノホシ」

舞踏に関しては、常々興味がありましたが、これまでは白虎社、伊藤キム笠井叡を観たことがある程度で、舞踏が好きか嫌いかと聞かれても、舞踏そのものの印象がまとまらず、答えられないくらいの知識と観劇経験しかありません。

なので、現在、暗黒舞踏の第一世代であり、最も有名と思われる大駱駝艦はかなり期待していたのですが、結論から言うと、いくつかの印象的なシーン、赤麿児の動きはあったものの、個人的に深い感動に至るまでには、その世界に入り込むことが出来ませんでした。正直、自分自身の体調が良くなかったのもあるので、これは作品がどうというより、まだ自分にとって舞踏が、不可解なままであり、距離があるせいだと思います。

とってつけたようですが、KEXの良さには、最後まで分からない、理解できないものが残ることでもあると思っています。しかし、そこには何かあると思わせるものがあるために、次もまた観てみようと思うのです。

ちなみに、斜め後ろの席でチョイ・カファイさんが観劇されていて、終演後、ダンスの専門家らしい連れの方に質問していました。研究熱心な印象を受けました。

 

KEX2016感想、続きは次回

京都国際舞台芸術祭 KYOTO EXPERIMENT 2016 感想(ダヴィデ・ヴォンパク、地点)

KEXことKYOTO EXPERIMENTあるいは、京都国際舞台芸術祭。

今回は、ロームシアターの開館に合わせて、1年以上待っての春開催でした。

僕は2011年の2回目から見ていますが、だんだん見る演目が増え、前回からはフリーパスで公式プログラムは、ほぼ全て見るようになりました。

僕は、ダンスや演劇の知識は全くと言って程無いずぶの素人ですが、KEXには、はまったと言っていいと思います。

むしろ、あまり知らないだけに、この質とボリュームで実験的な舞台を集中して見られることが面白くて仕方ないのかもしれません。

で、紹介したいわけです。特に現代美術が好きな方は、面白いと思います。今年は瀬戸内国際芸術祭でも舞台芸術がフューチャーされたり、最近、現代アートと舞台芸術は、表現の形式においても、観られる機会、会場などに関してもかなり重なってきてますし。

KEXには公式プログラムで十数本の、演劇とダンスの演目が毎年行われるわけですが、とくにダンス公演となると観客数でも多分200人とか?で、少ないうえにどうもその筋というか、コアなファンがほとんどに見えるんですね。それが、とてももったいないと感じます。

確かにそういう密室感や親密感、好事家が集まる怪しい集いみたいなのもKEXの魅力なんですが、やっぱりこの面白さ、もっと観られてしかるべき。今年はもうまたすぐ秋にも開催されますし。

で、何が面白いかを紹介するには、一素人として僕が見た実際の演目の感想なんかが一番実感が出るかなとも思いますので、さらさらっと書いてみます。

今回僕が見たのは、下記の公式プログラムのうち、都合で見られなかったチェルフィッチュを除く9演目。

 

ダヴィデ・ヴォンパク「渇望」

KEX初日の一発目に、このカニバリズムをテーマにしたダンス作品。開館したばかりのロームシアターで。さすがKEX。正面突破で実験舞台芸術を、市民の集う新会館に乗っけて来た感じです。

タイトルやわずかな紹介文や写真から、裸だろうなと思ってましたが、実際は全裸になることはなく、むしろ全裸にならないことで、人間が隠している部分を、見せるということを意識させられるようでした。それも、性的であることを戯画的と思えるほど露骨に表現して見せることで、羞恥心や禁忌を軽く飛び越えていた感じです。

唾液をとばすという行為が象徴的でしたが、踊っているパートナーにそれをかけることも含めて、唾液も身体の一部として振り付けに組み込まれていたのが印象的でした。

観客には笑っている人もいましたが、ダンサーの表現には悲痛としかいえないシーンもあり、はたして悲劇か喜劇か分からない、あるいはどちらでもあるという点にリアリズムを感じました。

ただ、もしあのダンサーが日本人だったら、羞恥や禁忌の感情は、観客としてとても違う見え方になるだろうと思います。人種、特に顔の造作と、他者としての距離感との結びつきは強く、特に、日本人にとって視覚に対しての人種の違いは根深い。性的な表現にかけては、やっぱりフランス人ってすごいと思いますが、多くの観客にとって演者がフランス人だからこそ、距離を置いて鑑賞できたのは確かだと思います。

ある意味では一番過激だったこの作品を、多分あえて今年最初の演目に持ってくることで、ロームシアターという、よりメジャーな舞台にホームグラウンドが移ってもEXPERIMENT精神は変わらないというKEXの意志表明とも受け取れました。

 地点「スポーツ劇」

圧巻と言ってしまうとそれで終わってしまいますが、あれだけの言葉を浴びた後に、なかなか中途半端な言葉は出てきません。

正直、これまで地点は苦手でした。特に前回のKEXで見た「光のない」では、イェリネクの難解なテキストをひたすら追っていると、独特のイントネーションや脚韻、叫びに近い発声に違和感が募っていき、かなり辛い観劇でした。

今回も「光のない」に続いてイェリネク作品ということで、ちょっと心配でしたが、まずそのサッカーのグラウンドを縦に起こしたような独特の舞台美術に興味を惹かれ、始まってからも、その重力を活かした動きと言葉の絡みが、「光のない」よりはとっつきやすい印象を受けました。

それでも、しばらくテキストを追っているうちに、やっぱりちょっと厳しいかなあという気にもなったのですが、(実際、隣の初老の外国人は途中で席を立ってしまいました。)ある一点を境に(それがどこかは明確に覚えていないのですが)、急に言葉が入ってくるようになったのです。自分でも意外だったのですが、それからは、ひたすら役者の発する言葉の奔流とリズムに打たれ続けるような感動で、ただもうずっと終わらずに、いつまでも続いてほしいと思っていました。

サッカーの試合のように何度も倒れながら、起き上がっては、とめどなく言葉を発し続けてきた人物たち。そして決して交わらなかった人物たち。それが最後に、並んで手をつなぎ、ひとり倒れ込んだ「ママ」を呼びながら何度も手を引くのですが、その手に力はなく、もう「ママ」は起き上がらない。その場面の悲しさと美しさは相当なものでした。

スポーツと戦争の関係がテーマになったその戯曲のテキストの意味を読み解けるほどの教養は僕にはありませんが、その舞台からは確かに戦争というもののもたらす、底知れない何か、叫ばずにいられない何かを感じることが出来たと思います。創作において、誠実に戦争を語り、それを観客が感じるには、質においても量においても、あれだけの言葉が必要なのだと、終演後はしばらく何の言葉も浮かばずに、駅までの道を歩きました。ロームシアターを出ると月がきれいで、劇場から出てきた人たちも皆あまりしゃべらずに月を見ていたようでした。

 

さらさらっと書くつもりが、そこそこ長くなりそうです。
というわけで、続きは次回のエントリーにしたいと思います。