観ないとソンダと思ったので

だれでも発信できること自体が良いことと聞いたので、美術展や映画、音楽などの感想など書いてみます。

「堂島リバービエンナーレ」観ました。

堂島リバーフォーラムで開催中の「堂島リバービエンナーレ2015 ~Take Me To The River」を観ました。
近くにビジュアルアーツ専門学校があるからか、学生風の若いグループや、カップルなどが多かったですが、あんまりプロモーションされていないせいか、割と空いてました。
かなり面白い展示なのにもったいない。8月30日までやってます。

テーマとしては、「Take Me To The River」という副題が表すように、「現代における『流れの空間性』と、そこに現れる変容と交換を探る展覧会」ということで、固定された土地よりも、グローバル化・流動化した現代社会の流れが生み出す空間性に焦点を当てるということのようです。
そのメタファーが「川」や「水」で、展示作品にはすべて、「流動」というキーワードが現れています。
流れるのは、時間でもあり、情報でもあり、お金でもあり、人でもあり、といったところですが、映像も含めて、実際に動く作品、実際に水を使った作品が多いために、鑑賞者は展示を回るうちに身体で「流動」を感じながら、目に見えない流れるものに考えを巡らせることになります。

特に印象に残ったというか、目玉と言っていいのが、池田亮司の作品。
真っ暗なホールの床全面をつかって、デジタル信号が高速で流れていき、しかも、靴を脱いでそのスクリーンの上を歩くことができるために、まるでデジタルの川を自分自身が逆流しているように感じます。
池田亮司の同種のシリーズは一昨年の京都国際舞台芸術祭でも見ましたが、その時はスクリーンでの上映形式だったため、今回は全身で作品世界に飲み込まれるような完全に別の体験でした。
映像も音も最高にクールで、プログラミングという技術や数学的な法則を前提にした美しさの表現としては、これ以上のものは中々無いと思います。
エンターテイメントとして体験しても文句なしに面白く、小さい女の子がデジタル信号の流れを追いかけて往復ダッシュを繰り返したりしていて、鑑賞者も全員楽しんでいました。

また、海外ドラマシリーズのスタイルを借りた、メラニー・ギルガンの映像作品「コモンセンス(フェーズ1)」も面白かったです。
近未来の社会では、上顎の裏にチップを装着し、相手の感情を自分の感情のように感じることができる技術が開発されており、互いに言葉にせず、あるいは努力をせずとも、コミュニケーションをとることが可能になっています。
ここで「流動」しているのは、人間の感情や共感(これも情報として扱われています)ですが、チップに対して身体的拒絶反応の発作を起こす人や、チップなしでは不安で一時も過ごせない人々、そのチップを使って上司の感情を常に部下に感じさせることで業務生産性、効率性をあげるコンサルタント企業などが出てきます。
アートというより警告的なSFのようにも感じますが、スタイルとして海外ドラマシリーズのパロディになっているために、それを展示として観る鑑賞者自身の日常も客観的に意識されるようになっています。

その他にも、サイモン・フジワラ、ヒト・スタヤル、フェルメール&エイルマンスなど、ユーモアを含みつつ過激ともいえる要素もあって、間口の広い、楽しめる作品が多いように思いました。

映像を使った作品が多いのですが、別の意味でもうひとつ面白いのは、同じく映像を使った作品が多い国立国際美術館の「他人の時間」展との対比です。
「他人の時間」展が、アジアの作家がそれぞれの国(土地)特有の歴史や記憶を取り上げた作品が多いのに対し、「堂島リバービエンナーレ」の出品作家は日本人を除き、すべてアメリカとヨーロッパの作家になっており、ITをはじめとするテクノロジーや、金融など、ネットワークの上を流れるものが扱われています。
両展とも現代性を強く意識させるテーマでありながら、真逆のアプローチのようにも思え、同時期にすぐ近くで開催していることを考えると、意図的に互いに補完する関係になっているのかもしれません。
ということで両方観ることをおススメします!
「他人の時間」展は9月もやってますが、「堂島リバービエンナーレ」は8月30日までなので、お早目に。

 

 堂島リバービエンナーレ

DOJIMA RIVER BIENNALE 2015 | DOJIMA RIVER FORUM

 

他人の時間

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