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観ないとソンダと思ったので

だれでも発信できること自体が良いことと聞いたので、美術展や映画、音楽などの感想など書いてみます。

京都国際舞台芸術祭 KYOTO EXPERIMENT 2016 感想(チョイ・カファイ、松本雄吉×林慎一郎、大駱駝艦)

ダンス 演劇

京都国際舞台芸術祭 KYOTO EXPERIMENT 2016の感想、続きです。

チョイ・カファイ「ソフトマシーン:スルジット&リアント」

チョイ・カファイを観るのは2回目。前回観たのもKEXで、電極をつないだダンサーが、コンピュータから送られる電気信号で、有名ダンサーの動きを再現するという、文字通りのDance FictionとContact Gonzoとのコラボレーション作品であったSoft Machine

今回はSoft Machineシリーズからの他2作ということで、「スルジット&リアント」。

インドのダンサー、スルジットとのコラボレーション作品は、西欧でのアジアのダンスの受容のされかたとして、いまだにオリエンタルなものを期待される点をを皮肉りながら、伝統とコンテンポラリーの間で、オリジナルなダンスを模索する過程をそのままダンスの振り付けとして見せていました。作品としてチョイ・カファイの文脈にあるのはもちろんですが、そのテーマはスルジットありきの作品であり、彼のダンサーとしての個性が際立っていたと思います。

日本在住のインドネシア人のダンサー、リアントについての作品では、インドネシアと日本、男と女の間の境界線を越えるリアントの姿と、そのアイデンティティの不安定さを、ドキュメンタリー映像として見せながら、それに続くダンスでは、リアントの生身の身体によってその問題を、複数の性格が重なりあうようなダンスの中で表現していました。こちらも同じく、リアントありきの作品であり、特に女性のダンスから男性のダンスへと、目の前でダンサーのアイデンティティが入れ替わる瞬間がスリリングでした。

コンテンポラリーダンスの受容の状況や、作り手のプロセスを相対化して、最終的に作品として 提示するところは、現代アートに近いと思いますが、とはいえ、やはり訓練された身体によるダンス、伝統舞踊の深みにも直接感銘を受けるという多重性が面白かったです。

 

松本雄吉×林慎一郎「PORTAL

維新派は過去3度観ています。一度ははるか昔、数少ない箱モノ公演であった高松市立美術館での「少年街」、二度目は犬島でのMAREBITO、三度目が大阪中之島での「透視図」。

維新派以外の松本雄吉さんの舞台を観るのは初めてでしたし、林慎一郎さんの戯曲に接するのも初めてでした。今回のPortalは大阪の豊中が舞台として設定されているということで、林さんの戯曲でありながら、透視図などの維新派作品のテーマとも連続性があったと思います。

役者のセリフ回しや、動きなど、演出としては、維新派に近い印象を受けましたが、維新派独特の、少年たちと夢幻を旅しているようなロマンチシズムとはちょっと異なる、もう少しハードな印象でした。

舞台は、ゲームのステージと現実の豊中が二重写しになっているような迷路で、トカレフを手にした主人公が出口を求めて彷徨いますが、それは、生活と絡み合った土地のもつ閉塞感、重力からの跳躍の願望があるように見えます。

松本雄吉さんは最近、寺山修司中上健次の作品を取り上げていますので、土地の呪縛ということでは、共通点のある主題に思えます。しかし、寺山や中上の作品に現れるような実際に何かを破壊する人物たちとは違い、Portalの主人公の撃つトカレフの銃声も、腐っちまえという言葉も、最後まで何も破壊することはありません。結局自力では重力から逃れられず、様々な登場人物に引きずられ、その挙句自らの分身でもあり、メフィスト的な役割も持つDJに、投げ飛ばされてどこかへ飛んでいきます。

この主人公のある種の煮え切らなさが、いまの足元のリアリティなのだと思います。現代の住人にとっては、足下の土地の出来事も、ゲームのマップ上の出来事も同じようにリアルなのかも知れません。そこでは、いつまでも続くアプリのゲームのように、なにも決定的に破壊されることはなく、エンディングもなく、ひたすら迷路を彷徨うのかもしれません。

 

大駱駝艦「ムシノホシ」

舞踏に関しては、常々興味がありましたが、これまでは白虎社、伊藤キム笠井叡を観たことがある程度で、舞踏が好きか嫌いかと聞かれても、舞踏そのものの印象がまとまらず、答えられないくらいの知識と観劇経験しかありません。

なので、現在、暗黒舞踏の第一世代であり、最も有名と思われる大駱駝艦はかなり期待していたのですが、結論から言うと、いくつかの印象的なシーン、赤麿児の動きはあったものの、個人的に深い感動に至るまでには、その世界に入り込むことが出来ませんでした。正直、自分自身の体調が良くなかったのもあるので、これは作品がどうというより、まだ自分にとって舞踏が、不可解なままであり、距離があるせいだと思います。

とってつけたようですが、KEXの良さには、最後まで分からない、理解できないものが残ることでもあると思っています。しかし、そこには何かあると思わせるものがあるために、次もまた観てみようと思うのです。

ちなみに、斜め後ろの席でチョイ・カファイさんが観劇されていて、終演後、ダンスの専門家らしい連れの方に質問していました。研究熱心な印象を受けました。

 

KEX2016感想、続きは次回