観ないとソンダと思ったので

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兵庫県立美術館「1945±5年」を観ました

昨年、戦後70周年を機に色々なところで話題になり、雑誌などでも特集されていた戦争画。個人的にも昨年は横浜美術館や浮世絵太田記念美術館などで、戦争画の企画展を観ました。
そして、戦後70年は一旦区切りがついた今年になって、兵庫県立美術館でこの企画展が開催されたということになります。ストレートに「1945±5年」と銘打って、戦前、戦中、戦後の日本の画家たちの活動と作品を200点で検証するという骨太の展示です。

もう一つ付け加えると、先月まで、国立国際美術館でやっていた「森村泰昌:自画像の美術史」でも今の現代美術のテーマとして、戦時下という状況で描かれた松本竣介の作品に重要な位置づけが与えられており、戦争画とは戦後70年の期間限定の話題ではなく、現代に深く関わる問題であるという認識は、共有されているのではないかと思います。

さて、展覧会自体は、まさにその松本竣介の作品で始まっていました。
今回の展示では、多くの作品が戦意高揚に協力的ないわゆる「戦争画」だったわけですが、その中で、明確にではなくとも戦時下での画家、芸術家にたいする、戦争協力の圧力に抵抗していたと思われる松本俊介を最初に持ってきているところに企画者の意図を感じました。


実際、小磯良平や、藤田嗣治といったもっと有名な画家の絵もありましたが、それがどれほど美的に優れていたとしても、戦意高揚を前提としたものであれば、今芸術として素直に受け止めるのは鑑賞者の心理として無理があります。そういった不安定な気持ちでの鑑賞を強いられる中で、街の上に暗く不気味に覆いかぶさるような国会議事堂を描いた「議事堂のある風景」を含む松本竣介の作品は、純粋に芸術として向き合えるという意味で、この企画を絵画展として成立させるために重要な役割を持っていたのではないかと思います。

展示全体の構成としては、時代別に、戦前、戦中、戦後にわかれ、さらにそれがいくつかのテーマで区切られていました。
戦前の作品群は比較的オーソドックスな洋画が中心ですが、戦中になるにしたがって徐々に絵のモチーフは時局を描いたものに固定されていきます。
それでも、出征先の街の風景を描いた小品などからは、たとえそれが日本の植民地の風景を国民に報せるという政府の意図があったとしても、露骨な戦意高揚という印象は受けず、前田藤四朗の沖縄、満州を描いた作品や、森堯之のハルビン、ロシアを描いた作品には、エキゾチックな風物への素朴な興味と、それを描きたいという芸術家としての純粋な欲求があるような気がしました。


しかし、次に伊谷賢蔵の「楽土建設」という作品が現れたときには、そのタイトルもさることながら、非常に複雑な印象を持ちました。
力強く生き生きとした中国の農村風景と少女が描かれた大作で、その画面から受ける印象はとてもヒューマニスティックで明るいのですが、その少女の手には日の丸があり、その土地が日本の楽土であるという政治的なニュアンスを結果として与えるようになっています。
ただその一方で、絵画として見た印象からはどうしても、その作品が戦意高揚の目的だけで描かれたとは思えず、確かに画家には、中国の農村の土地や人々に対する共感と、芸術家としての人間的な表現欲求があるように思えました。その二つは、この時代の画家の意識の中では矛盾なく統合されていたのか、あるいは戦争協力的な要素は妥協とカモフラージュの結果なのか。その問いは、この後の展示で戦中の「戦争画」作品を観る上で、ずっと引っかかりました。

いくつかの作品は、露骨に戦意高揚、国威発揚、国家アイデンティティの強化のための宣伝的なものであり、そういったものは、芸術的な感動とは程遠いため、資料としてある意味で安心して観て過ぎることが出来ます。また、特にシュールレアリスムの作品群では明らかにカモフラージュとして体制側のモチーフを取り入れていたりして、それはそれで理解することが出来ます。
しかし、藤田嗣治もそうなのですが、多くの特に戦闘を描いた作品には、特殊な状況下での奇妙なリアリズムと、絵を描くことを仕事とした人間の業のようなある種の情熱を感じます。
とはいえそれは、絵画を観るときに感じる一般的な感動とは異質のもので、決して絵に没入することはできず、鑑賞者自信の倫理感も常に問われているという非常に不安な気持ちで鑑賞を続けることになりました。

戦後作品のエリアになると、破壊された文明と敗戦の現実、戦争の記憶、そして抑圧からの解放が主要なテーマとして現れてきます。

戦後の作品になると絵を観る上で、その画家を縛っている権力の影を感じることはなくなっていくのですが、一部の作品では反対に戦後の政治的なイデオロギーが芸術以前の動機として感じられる作品もあり、そこでも、絵画全体に網がかけられ、鑑賞者がその網の中に入っていって作品を観ているような重たさがありました。

戦中エリアの作品でもそうでしたが、個人的には風景のスケッチのような、テーマにおいても物理的なサイズにおいても小さい作品が、画家が自由に描いているようでほっとするものだった気がします。

その意味では、展示の一番最後に置かれていた浜田知明の小さな作品「聖馬」では、その小さな額縁がまるでのぞき窓のように感じられ、その奥に個人的な戦争の記憶とシュールレアリスム的な実験の結合が、画家の想像力によって芸術として実現されているように思えました。

それは小さな窓としての絵画を通しての精神の解放とも感じられ、それがこの絵画展の最後の作品であっただけにある種の救いのようで感動的でした。

全体を通して、通常の絵画展を鑑賞するのとは大分異なる体験でした。

普通は例え重いテーマを扱った作家の個展でも、そこには作家の自由な表現としての芸術作品に対面するある種の喜びがあるものです。

しかしこの「1945±5年」展では、それが戦争画であるという前提を忘れて純粋に色彩や形態を観ることは不可能であり、絵を描いた画家の位置と絵の前に立った自分の位置を常に考えざるを得ませんでした。


それが、この企画展の意図したものなのかは分かりませんが、おそらく鑑賞者がどのように感じるのか、どのようにこの展示を観るかというのは、他のどの絵画展よりも、予測するのは難しかったのではないでしょうか。実際、鑑賞者それぞれでかなり異なった感想が出てくるのではないかと思います。はっきり言えることは、これは決して安心して観られる絵ではないということで、それはもしかしたら結果的に、現代美術がはらんでいるはずの現代の鑑賞者の価値観や歴史観を揺さぶり疑いを投げかけるということと、共通するものを含んでいるともいえるのではないでしょうか。

一方で、こういった絵画が当時どうやって人々の目に入っていたかという点では、意外な発見がありました。
戦争画というのは、当時の新聞や雑誌などの印刷物での広報に利用されていたものと思っていたのですが、実際は、新聞社や政府が主催する聖戦美術展、大東亜戦争美術展、戦時特別美術展といった展覧会が全国を巡回し、相当な入場者を集めたようです。当時様々な規制がある中で、絵画展というのはある意味では貴重な文化的催しの機会だったのかもしれません。
また、当時の政府にとっては、イメージによる民衆意識のコントロールという意味で、視覚表現の与える効果というものに有効性を感じていたものと思われます。
前線や白兵戦を描いた戦争記録画などは、写真や想像をもとに描かれたものがほとんどだということですが、写真そのままよりも、それをもとにした絵画の方が効果的な面があったということでしょう。
そう考えると、当時の入場者の中には、こういった体制や時世の圧力で描かれた「芸術」に戸惑いや、不安を覚える鑑賞者もいたはずで、現代のこの「1945±5年」展の鑑賞体験はその疑似体験といえる部分もあり、そこからもこの企画展が単に資料としてではなく、現代性のある問題意識を持った企画だったと言えるのではないかと思いました。

 次は広島市現代美術館に巡回するようですので、興味を持たれた方は足を運んでみてはいかがでしょうか。今後は、なかなか観る機会の無い企画展だと思います。

https://www.hiroshima-moca.jp/the1945/