観ないとソンダと思ったので

だれでも発信できること自体が良いことと聞いたので、美術展や映画、音楽などの感想など書いてみます。

ボブ・ディランのジャパンツアー2016が最高である理由

只今、絶賛来日中のボブディラン、74才。もうすぐ75才。

シナトラのレパートリーを中心としたスタンダード曲と、主に「テンペスト」からの近作半々の構成で、評判も上々です。今回のツアーでは、大阪フェスティバルホールの3daysを鑑賞しましたが、個人的にも今回の来日公演はこれまでで最高だと思います。

ちなみに僕がこれまで見たボブ・ディランのコンサートはこんなところです。

1994年 大阪城ホール

1997年 倉敷市民会館

2004年 PHOENIX CONCERT THEATRE, Toronto

2010年 Zepp Osaka×3

2014年 Zepp Namba×3

2016年 大阪フェスティバルホール×3

したがって、来日公演としては、1978年、1986年、2001年は観ていません。良く考えるとネヴァーエンディングツアーが始まって以降の公演を見てきたということになります。したがって、今回の来日公演は、これまでのネヴァーエンディングツアー来日公演で最高だ!としておきましょう。

※ちなみに良かった順番をつけるとすると、ほぼ最近になるほど良いということになります。

では、どこが最高なのか?さっそく、説明させてください。

1.音響が良い。

まず、前回、前々回のZeppツアーも最高だったという前提があります。ステージ前に陣取って、スタンディングで、ボブ・ディランの曲、「ハイウェイ61」で、「ライク・ア・ローリング・ストーン」で、「デューケイン・ホイッスル」で、踊りながら熱狂できるというのは最高でした。

しかし、そこはあくまでライブハウス。チャーリーのギターもリセリのドラムも熱気と一緒に感覚に訴えかけ、体を動かすもので、アンサンブルを聞くというものではなかったと言えます。

それに比べると今回の公演は、各県で、全国屈指の音の良いホールを選んでのパフォーマンス。スタンダード曲でのボブの精妙な唱法から、各楽器の繊細なアンサンブル、テンペストからのロックンロール曲の見事なドライブ感まで、じっくり味わうことが出来ます。

2.周りを気にせず座って観られる

なにしろ、座席指定のホールツアーなので、スタンディングのように、隣に押されたり、前に突然ノッポが表れて背中しか見えないというようなことが起こりません。

歌に、音楽に集中することが出来ます。

3.歌詞が味わえる

今回のツアーはセットリストが固定です。前々回の日本公演までは、日替わりで半分くらいの曲を入れ替えていましたが、ここ数年はどこでもほぼ固定のセットリストでやっているようです。

理由としては、

  1. 予定調和を一番嫌うボブなので、日替わりを期待されることが嫌になった。
  2. 即興性よりも、今一番歌いたい歌に絞って完成度を高めることに興味が移った。
  3. 年齢的にたくさんの曲の歌詞は出てきにくくなった。

あたりが考えられますが、2あたりが正解かなあと思います。3の理由だったらファンにとってはショックかもしれませんが、今のボブは老いること、それによって失っていくものも歌のテーマとして表現していると思いますので、それであのパフォーマンスをしてくれるのであれば、個人的には全然ありな姿だと思います。

そして何より、僕はこのセットリスト固定の最大のメリットは、歌詞を予習できることだと思います。以前のように、日替わりで何の曲をやるか分からないという状況だと、あの膨大な曲からさらに膨大な言葉の集積を予習しようという気にはなれません。

しかし、明日やる21曲が分かっているんだったら、確実に予習できるはずです。

21曲は無理という方にお勧めするとしたら、Blowing in the windは当然として、それ以外では、 終盤で歌われるScarlet Town、Long And Wasted Years あたりは歌詞を理解しておくと、歌の凄みと味わい、受ける感動が大きく違うと思います。特に、Long And Wasted Years はもう、泣きます。スタンダード曲も歌詞はシンプルなので、一通り目を通しておくと良いと思います。

歌詞を見るには公式サイトもありますが、Geniusがおすすめです。

Blowin' in the wind は動画も埋め込みで見られます。

もちろん、ホールツアーで音が良いので、歌に集中して歌詞をじっくり味わえるということも言えると思います。

4.バンドのクオリティが半端ない

今のバンドのメンバー、チャーリー・セクストン(G)、トニー・ガルニエ(B)、ジョージ・リセリ(Dr)、ドニー・ヘロン(Pedal Steel / Banjo etc.)というのは、かなり長い間、レコーディングにライブに、ボブを支えている面子です。Zeppツアーでも同じメンバーで、深みのある最高なロックンロールを聞かせてくれましたが、今回のとくにスタンダード曲での繊細なアンサンブル、そしてテンペストからの曲などでのブルージーなプレイの迫力は、これまたホールの音響と相まって圧倒的です。さらにチャーリーの自在なフレージングが花を添えています。ボブがいくら自由にタイミングやメロディーを崩してみても、このバンドはすぐにアジャストし、ボブの歌を支えます。これは、バンドからのボブの音楽、歌への特別な敬意と、ボブのバンドへの完全な信頼があるからこそのことだと思います。

5.新しいボブの歌の世界が聴ける

スタンダード曲集のアルバムとしては、最新の2作、Shadows in the nightと来日記念版のメランコリームードの2枚がありますが、この中の曲が、ライブであれほど良いとは正直思っていませんでした。

スタンドマイクで斜めに構え、遠くを見つめながら「枯葉」を歌い上げるボブ。あのボブ・ディランのそんな姿を60年代、70年代、80年代、90年代、2000年代の誰が想像したでしょうか。そして、その歌に病みつきになるような魔力があると、2014年の誰が想像したでしょうか。

これは、全く新しいボブの歌の世界であり、だからこそ、まさにボブ・ディランだと言えると思います。

ボブ・ディランが他のベテランアーティストと違うところは、次に出すアルバムが最高傑作かもしれないと今でも思わせるところだ」と誰かが言ってましたが、要するに、その年齢でしか出来ないこと、その時代でしか出来ないことをやるので、それが最高傑作になるということだと思います。

「自分の作ったレコードを聞き返すことは無い。自分のコピーをするようにはなりたく無い。」- ボブ・ディラン

60年代にやっていた音楽はその時点でのボブ・ディランがやっていたから最高であり、今のボブ・ディランがやっていることは、74才のボブが2016年にやるから最高なのです。今のボブに「追憶のハイウェイ61」は作れず、60年代のボブに、「Shadows in the night」は作れないのです。

特に今回のスタンダード曲を大幅に取り入れたステージは、ボブの後ろに見える巨大なアメリカポピュラー音楽の遺産、アイリッシュトラッドから、フォーク、ブルース、ジャズ、カントリー、リズム&ブルース、ゴスペル、ロックンロールを引き継ぐ最終ランナーとしてのボブの姿に、アメリカンスタンダード、そしてフランク・シナトラという、もうひとつの大きな遺産を加えるものだと思います。

6.「風に吹かれて」が聴ける

最後に言いたいことはこれです。アンコールで歌われる「風に吹かれて」。

これは、史上最高のバージョンだと思います。

74才の今また、あの歌詞を一つ一つ大切に伝えようとしているのが分かります。

これまでにも、いろいろな優れたバージョン、カッコいいバージョンがある曲ですが、歌詞をここまで丁寧に語りかけるように歌うのは、20歳の最初に作ったころ以来ではないかと思います。

1962年に20歳のボブディランが書いた歌。最初にHow many years?と歌ってから53年が過ぎたことになりますが、今も世界では、人の自由は奪われ、大砲の弾は飛び、人は死にすぎていて、答えは風に舞っています。

50年以上歌い続け、最後かもしれない来日公演で74歳のボブが今問いかけるHow many years?

The answer, my friend, is blowing in the wind
The answer is blowing in the wind

もし、少しでもボブ・ディランに興味があるなら、これを聞くだけでも今回の来日ツアーを観る価値があると思います。


How many roads must a man walk down
Before you call him a man?
How many seas must a white dove sail
Before she sleeps in the sand?
Yes, and how many times must the cannonballs fly
Before they're forever banned?
The answer, my friend, is blowing in the wind
The answer is blowing in the wind

How many years can a mountain exist
Before it is washed to the sea?
Yes, and how many years can some people exist
Before they're allowed to be free?
Yes, and how many times can a man turn his head
And pretend that he just doesn't see?
The answer, my friend, is blowing in the wind
The answer is blowing in the wind

How many times must a man look up
Before he can see the sky?
Yes, and how many ears must one man have
Before he can hear people cry?
Yes, and how many deaths will it take till he knows
That too many people have died?
The answer, my friend, is blowing in the wind
The answer is blowing in the wind

 

今回の来日ツアーも、現時点で残りは東京オーチャードホール2公演とパシフィコ横浜の1公演。

僕も大阪での公演をこれで最後かもしれないという気持ちで観ましたが、でも、やっぱり、また来日してほしいと切に願います。

そして、もうひとつ、日本公演でなくてもよいので、この素晴らしいステージをライブ盤としてリリースしてくれないかと思うのです。

京都国際舞台芸術祭 KYOTO EXPERIMENT 2016 感想(トリシャ・ブラウン、マヌエラ・インファンテ/テアトロ・デ・チレ、ボリス・シャルマッツ/ミュゼ・ドゥ・ラ・ダンス、足立智美 × contact Gonzo)

京都国際舞台芸術祭 KYOTO EXPERIMENT 2016 感想、最後の回です。

トリシャ・ブラウン・ダンスカンパニー「Trisha Brown: In Plain Site」

ポストモダンダンスの旗手として60年代にアートや現代音楽とのコラボレーションを展開、コンテンポラリーダンスの世界では最重要な振付家である」というような情報から、これは今年一番楽しみにしていました。

京都国立近代美術館のロビーと階段が舞台で、僕が鑑賞したのは夜の回。

観客は舞台となるスペースの周りに輪になって鑑賞し、ダンサーと舞台が移動するたびに、一緒に移動する形式でした。

開演前に、音を立てなければ、写真撮影OKという案内がありましたが、実際に写真を撮る人は少なく、撮るときも控えめでした。

どれもこれも写真にとってシェアしたくなるような、ある意味ポップでおしゃれなダンスだったのですが、皆ダンスそのものに集中していたようで、観客数は200人程度で決して多くはないですが、本当にダンスを観たい人が集まっていた感じでした。

今回の舞台は、60年代のカンパニーの作品のオムニバス形式で、シンプルな白い衣装、美術館の背景もあいまって、非常にミニマルな演出。ダンサーたちも微笑んでいて、ある意味、かわいいともいえるダンスでした。

ダンサーたちの動きそのものはタイミングや角度など、計算され、訓練されたとおりに動いている感じで数学的。3人から4人が同時に踊るのですが、一定の距離を保ちながら、重なったり、離れたりする動きは、無音の作品でも音楽的でした。仰向けに寝て隣が見えない状態で音楽も無い中、あれだけ正確に動きがシンクロしているのは、よく考えるとすごいことだと思うのですが、それがとても自然に見えて、ダンサーの動きひとつひとつが五線譜の上の音符のようでした。

いくつかの作品にはテーマ曲もあって、その選曲も60年代のポップスなどでラブリー。音のリズムや音程などより、その曲の雰囲気を活かしたダンスという印象で、トリシャブラウンの音楽の趣味が出ているのでしょうか。

別の見方としては、シンプルで計算された動きが繰り返されるところは、なんとなく、ファミコンとかGIFアニメを連想させるようでもありました。

KEXで観られるダンス作品では過激な方向でのエクスペリメント(実験)が多いのですが、60年代におけるダンスの実験としての、徹底してミニマルで批評的なユーモアのある世界は新鮮で、その優しい世界に癒されました。

今回のKEXでは個人的に最も好きな作品でした。鑑賞者が少なかったのが勿体ないなと思います。

 

マヌエラ・インファンテ/テアトロ・デ・チレ「動物園」

 南米チリの演劇。チリという土地の植民地としての歴史から、今に続く文化的アイデンティティーの問題を、原住民と研究者という2対2の人物が演じる役柄を通して描いたものでした。

セリフはスペイン語なので、舞台上方の電光掲示板に日本語訳が流れるスタイル。これまでにも何度かこの形式での舞台を観ましたが、セリフの多い芝居では正直どうしても字幕を追ってしまい、なかなか入り込めません。今回の芝居では、この字幕を活かした演出などもあったのですが、個人的にはやはり全く分からない言葉での舞台にはまだ慣れていないというのが正直なところです。

脚本、そして演出には、劇中の人物の間、そして演者と観客の間の、観る側と観られる側の関係性を揺さぶるような仕組みがありますが、本来はチリの鑑賞者を想定したもののためか、そのラストなども含めて、今回は少し距離を感じました。

今年の秋にまた、この作品を日本語版としてリメイクしたものが上演されるようですが、そちらの方がおそらく日本の観客にとっては分かりやすいものになるのではないかと思うので、機会があったら見てみたいと思います。

 

ボリス・シャルマッツ/ミュゼ・ドゥ・ラ・ダンス「喰う」

ダンス公演で春秋座が会場というのは、意外な感じがしましたが、始まってみればなるほど、観客全員が緞帳の裏の舞台に連れて行かれました。つまり観客も舞台上でダンサーと一緒になって、その中でダンスを観る形式でした。

KEXの演目では以前にも、マルセロ・エヴェリンの「突然どこもかしこも黒山の人だかりとなる」という作品で、同様のスタイルが用いられていました。

ただ、この作品では、マルセロ作品のように観客が巻き込まれるわけではなく、むしろ雑踏のようにランダムに立つ人間の間で、その何人かが突発的にダンスを始めるといった形でした。日本だと外国人がダンサーなので、集団の中では最初から存在感があるのですが、西欧だと本当に普通の観客の中から突然ダンスが始まる感じになるだろうと思います。

ダンスと言っても動きは様々で、腕を噛んだり、叫んだりしつつ、特異なポーズを繰り返し変化させて、徐々に床に倒れ込んでいき、また起き上がったりするのですが、その間、常に、片手に掴んだ数枚の白い紙を小さくちぎっては口に入れていきます。つまり、タイトル通り実際に「喰う」ダンスでした。目の前で実際に大量の紙を食べていくので、それが安全な紙なのか、気にはなりましたが、口の動きや食べるという行為をダンスに取りこむというのは面白かったです。

また、実際に「喰う」以外に同じく口を使ったアクションとして印象的だったのが、歌うことでした。この歌が非常に効果的で、 観客の足下で痙攣的な動きを繰り返していたダンサーたちが、おもむろに美しいアンサンブルで合唱しだすと、不思議な感動が起こります。するとここで、それまでの展開にやや戸惑い気味でバラバラだった観客が、歌によって、ひとつにまとまる様な感覚がやってきます。

これは感動的であると同時に、それまであった既存のダンスを解体しようとする広がりが、情緒的な集団化にとって代わる危険も感じたのですが、その集団化は、それぞれのダンサーたちが、食べるという原初的な動作をダンスとして行うという奇異な光景を続けていることよって、回避されていたように思いました。

また中盤では、女のダンサーが男のダンサーの手足の上に、あるいは男のダンサーが男のダンサーの手足の上に、靴で乗り、逃れようと回転するところを逃さずに乗り続けるシーンがありました。その間もダンサーは紙を食べ続けます。また一瞬、他のダンサーに紙を食べさせるシーンもありました。「食べざるをえないこと。誰かに犠牲をしいても自分が食べること。誰かのために、食べさせてあげること。踊っていても、愛していても、憎んでいても食べること。」そんな言葉が浮かび、食べ物そのものである白い紙から、旧約聖書に出てくる神が民に与えた白い食べ物「マナ」を連想したりもしました。

最後にはきれいに舞台に落ちた切れ端まで白い紙を食べつくして演技は終了しました。

今回参加した、ダンサーはプロもいれば、役者もいるとのことでしたが、素晴らしいパフォーマンスだったと思います。

 

足立智美 × contact Gonzo「てすらんばしり」

今回のKEXで最後に鑑賞したのは、Experimentな音楽家の足立智美と、KEXではレギュラーとも言えるcontact Gonzoとのコラボレーションである「てすらんばしり」。なんとなく、KEXでは明るさを持った作品をスケジュールの最後に持ってきているような気がするのですが、この作品も子供たちの明るさに満ちた良い作品でした。

もっとも、KEXそしてゴンゾですので、子供たちをつまらない健全さには閉じ込めておかず、危なさ、もっとはっきり言えば身体、ダンスと痛みや暴力との接点も隠すことなく提示された上での、子供たちとのパフォーマンスでした。

念のために書いておくと、子供たちが出てくるシークエンスでは、大人同士でも平手打ちや相手を吹っ飛ばすような体当たりは無く、実際の身体の動作としては、鬼ごっこに興じる小学校の先生と児童といった趣でした。

ただ、その前の大人だけのシークエンスは本気のゴンゾ。さらに、今回は女性ダンサーも加わり、体当たりから、平手打ちまで、くったりくらわせたり。やっぱり見てて、ちょっと心配しましたが、もともと、コンタクトする側にもされる側にも、「手加減」とも重なりながら微妙に異なる身体のコントロール(振り付けといって良いんでしょうか)があるのが、ゴンゾのコンタクトなので、女性が入ることでそれに変奏が加わったような印象でした。特に、今回の舞台は客席との距離が近く、コンタクトのタイミングを図る息づかいまでよく分かりました。

そのコンタクトが、次のシークエンスで子供たちが駆け足で舞台になだれ込むと、いっぺんにほのぼのに反転したのは、やっぱり子供の身体のパワーではないかと思います。

また、子供たちのパフォーマンスには、ゴンゾとともに、足立智美の音楽的要素も同時に加わっていました。説明が難しいのですが、円形に広がった子供たちが、あらかじめ自由に描いた線を手に持って立ち、その中心で回転する足立智美が自分に向いたときに、子供たちが自分の描いた線の高低を音にかえて発声することで、音楽が生まれるという仕掛けでした。巨大な人力レコードという感じでしょうか。

ちなみに、あらかじめ他にもたくさんの子供たちがワークショップで描いた線を楽譜として、さまざまな物で鳴らした音がサンプリングされて、舞台の序盤で流されていました。ビジュアルも含めてとても楽しい音楽で、子供には「こういうのも音楽です」じゃなくて「これが音楽です」と教えてもいいんじゃないかと思います。その方が楽しいと思います。

そして、最後のシークエンスは、これも説明が難しいのですが、今度は中心を向いてワゴンに乗った足立智美を、中心に位置したゴンゾのメンバーがロープをもって回転させ、足立智美が叫ぶと、中心の天井から下がったテスラコイルから電子音で変換された声とともに、雷のような電磁波がゴンゾのメンバーの上に放出されるという、狂った(笑)趣向で、大いに楽しめました。

ひとつながりの構成全体を観ると、子供たちはダンスも音楽も体全体で演じているという点で変わりなく、シークエンス毎にどちらかが主体というよりも、音楽もダンス、ダンスも音楽ということかと思いました。

足立智美×contact Gonzo×子供たち」がとても良いコラボレーションだったと思います。

 

 という感じで、2016年春のKyoto Experiment、京都国際舞台芸術祭の個人的感想でした。実験的な舞台と言っても演目によってずいぶんその方向性も異なるので、自分が興味のあるものだけ見るのも良いと思います。とはいえ、何かわからないものを観に行って劇場で驚くというのもKEXの楽しみなのです。

今年はまた本来の会期に戻って、早速、秋にも開催されるということですし、過激さよりエンターテイメント性があるものが好みというような方には、歌舞伎の演目を現代の言葉、解釈で再生させる木ノ下歌舞伎もあります。

興味のある方、特に現代美術なんかが好きな方は、是非一度足を運んでみてはどうでしょうか。

www.cinra.net

京都国際舞台芸術祭 KYOTO EXPERIMENT 2016 感想(チョイ・カファイ、松本雄吉×林慎一郎、大駱駝艦)

京都国際舞台芸術祭 KYOTO EXPERIMENT 2016の感想、続きです。

チョイ・カファイ「ソフトマシーン:スルジット&リアント」

チョイ・カファイを観るのは2回目。前回観たのもKEXで、電極をつないだダンサーが、コンピュータから送られる電気信号で、有名ダンサーの動きを再現するという、文字通りのDance FictionとContact Gonzoとのコラボレーション作品であったSoft Machine

今回はSoft Machineシリーズからの他2作ということで、「スルジット&リアント」。

インドのダンサー、スルジットとのコラボレーション作品は、西欧でのアジアのダンスの受容のされかたとして、いまだにオリエンタルなものを期待される点をを皮肉りながら、伝統とコンテンポラリーの間で、オリジナルなダンスを模索する過程をそのままダンスの振り付けとして見せていました。作品としてチョイ・カファイの文脈にあるのはもちろんですが、そのテーマはスルジットありきの作品であり、彼のダンサーとしての個性が際立っていたと思います。

日本在住のインドネシア人のダンサー、リアントについての作品では、インドネシアと日本、男と女の間の境界線を越えるリアントの姿と、そのアイデンティティの不安定さを、ドキュメンタリー映像として見せながら、それに続くダンスでは、リアントの生身の身体によってその問題を、複数の性格が重なりあうようなダンスの中で表現していました。こちらも同じく、リアントありきの作品であり、特に女性のダンスから男性のダンスへと、目の前でダンサーのアイデンティティが入れ替わる瞬間がスリリングでした。

コンテンポラリーダンスの受容の状況や、作り手のプロセスを相対化して、最終的に作品として 提示するところは、現代アートに近いと思いますが、とはいえ、やはり訓練された身体によるダンス、伝統舞踊の深みにも直接感銘を受けるという多重性が面白かったです。

 

松本雄吉×林慎一郎「PORTAL

維新派は過去3度観ています。一度ははるか昔、数少ない箱モノ公演であった高松市立美術館での「少年街」、二度目は犬島でのMAREBITO、三度目が大阪中之島での「透視図」。

維新派以外の松本雄吉さんの舞台を観るのは初めてでしたし、林慎一郎さんの戯曲に接するのも初めてでした。今回のPortalは大阪の豊中が舞台として設定されているということで、林さんの戯曲でありながら、透視図などの維新派作品のテーマとも連続性があったと思います。

役者のセリフ回しや、動きなど、演出としては、維新派に近い印象を受けましたが、維新派独特の、少年たちと夢幻を旅しているようなロマンチシズムとはちょっと異なる、もう少しハードな印象でした。

舞台は、ゲームのステージと現実の豊中が二重写しになっているような迷路で、トカレフを手にした主人公が出口を求めて彷徨いますが、それは、生活と絡み合った土地のもつ閉塞感、重力からの跳躍の願望があるように見えます。

松本雄吉さんは最近、寺山修司中上健次の作品を取り上げていますので、土地の呪縛ということでは、共通点のある主題に思えます。しかし、寺山や中上の作品に現れるような実際に何かを破壊する人物たちとは違い、Portalの主人公の撃つトカレフの銃声も、腐っちまえという言葉も、最後まで何も破壊することはありません。結局自力では重力から逃れられず、様々な登場人物に引きずられ、その挙句自らの分身でもあり、メフィスト的な役割も持つDJに、投げ飛ばされてどこかへ飛んでいきます。

この主人公のある種の煮え切らなさが、いまの足元のリアリティなのだと思います。現代の住人にとっては、足下の土地の出来事も、ゲームのマップ上の出来事も同じようにリアルなのかも知れません。そこでは、いつまでも続くアプリのゲームのように、なにも決定的に破壊されることはなく、エンディングもなく、ひたすら迷路を彷徨うのかもしれません。

 

大駱駝艦「ムシノホシ」

舞踏に関しては、常々興味がありましたが、これまでは白虎社、伊藤キム笠井叡を観たことがある程度で、舞踏が好きか嫌いかと聞かれても、舞踏そのものの印象がまとまらず、答えられないくらいの知識と観劇経験しかありません。

なので、現在、暗黒舞踏の第一世代であり、最も有名と思われる大駱駝艦はかなり期待していたのですが、結論から言うと、いくつかの印象的なシーン、赤麿児の動きはあったものの、個人的に深い感動に至るまでには、その世界に入り込むことが出来ませんでした。正直、自分自身の体調が良くなかったのもあるので、これは作品がどうというより、まだ自分にとって舞踏が、不可解なままであり、距離があるせいだと思います。

とってつけたようですが、KEXの良さには、最後まで分からない、理解できないものが残ることでもあると思っています。しかし、そこには何かあると思わせるものがあるために、次もまた観てみようと思うのです。

ちなみに、斜め後ろの席でチョイ・カファイさんが観劇されていて、終演後、ダンスの専門家らしい連れの方に質問していました。研究熱心な印象を受けました。

 

KEX2016感想、続きは次回

京都国際舞台芸術祭 KYOTO EXPERIMENT 2016 感想(ダヴィデ・ヴォンパク、地点)

KEXことKYOTO EXPERIMENTあるいは、京都国際舞台芸術祭。

今回は、ロームシアターの開館に合わせて、1年以上待っての春開催でした。

僕は2011年の2回目から見ていますが、だんだん見る演目が増え、前回からはフリーパスで公式プログラムは、ほぼ全て見るようになりました。

僕は、ダンスや演劇の知識は全くと言って程無いずぶの素人ですが、KEXには、はまったと言っていいと思います。

むしろ、あまり知らないだけに、この質とボリュームで実験的な舞台を集中して見られることが面白くて仕方ないのかもしれません。

で、紹介したいわけです。特に現代美術が好きな方は、面白いと思います。今年は瀬戸内国際芸術祭でも舞台芸術がフューチャーされたり、最近、現代アートと舞台芸術は、表現の形式においても、観られる機会、会場などに関してもかなり重なってきてますし。

KEXには公式プログラムで十数本の、演劇とダンスの演目が毎年行われるわけですが、とくにダンス公演となると観客数でも多分200人とか?で、少ないうえにどうもその筋というか、コアなファンがほとんどに見えるんですね。それが、とてももったいないと感じます。

確かにそういう密室感や親密感、好事家が集まる怪しい集いみたいなのもKEXの魅力なんですが、やっぱりこの面白さ、もっと観られてしかるべき。今年はもうまたすぐ秋にも開催されますし。

で、何が面白いかを紹介するには、一素人として僕が見た実際の演目の感想なんかが一番実感が出るかなとも思いますので、さらさらっと書いてみます。

今回僕が見たのは、下記の公式プログラムのうち、都合で見られなかったチェルフィッチュを除く9演目。

 

ダヴィデ・ヴォンパク「渇望」

KEX初日の一発目に、このカニバリズムをテーマにしたダンス作品。開館したばかりのロームシアターで。さすがKEX。正面突破で実験舞台芸術を、市民の集う新会館に乗っけて来た感じです。

タイトルやわずかな紹介文や写真から、裸だろうなと思ってましたが、実際は全裸になることはなく、むしろ全裸にならないことで、人間が隠している部分を、見せるということを意識させられるようでした。それも、性的であることを戯画的と思えるほど露骨に表現して見せることで、羞恥心や禁忌を軽く飛び越えていた感じです。

唾液をとばすという行為が象徴的でしたが、踊っているパートナーにそれをかけることも含めて、唾液も身体の一部として振り付けに組み込まれていたのが印象的でした。

観客には笑っている人もいましたが、ダンサーの表現には悲痛としかいえないシーンもあり、はたして悲劇か喜劇か分からない、あるいはどちらでもあるという点にリアリズムを感じました。

ただ、もしあのダンサーが日本人だったら、羞恥や禁忌の感情は、観客としてとても違う見え方になるだろうと思います。人種、特に顔の造作と、他者としての距離感との結びつきは強く、特に、日本人にとって視覚に対しての人種の違いは根深い。性的な表現にかけては、やっぱりフランス人ってすごいと思いますが、多くの観客にとって演者がフランス人だからこそ、距離を置いて鑑賞できたのは確かだと思います。

ある意味では一番過激だったこの作品を、多分あえて今年最初の演目に持ってくることで、ロームシアターという、よりメジャーな舞台にホームグラウンドが移ってもEXPERIMENT精神は変わらないというKEXの意志表明とも受け取れました。

 地点「スポーツ劇」

圧巻と言ってしまうとそれで終わってしまいますが、あれだけの言葉を浴びた後に、なかなか中途半端な言葉は出てきません。

正直、これまで地点は苦手でした。特に前回のKEXで見た「光のない」では、イェリネクの難解なテキストをひたすら追っていると、独特のイントネーションや脚韻、叫びに近い発声に違和感が募っていき、かなり辛い観劇でした。

今回も「光のない」に続いてイェリネク作品ということで、ちょっと心配でしたが、まずそのサッカーのグラウンドを縦に起こしたような独特の舞台美術に興味を惹かれ、始まってからも、その重力を活かした動きと言葉の絡みが、「光のない」よりはとっつきやすい印象を受けました。

それでも、しばらくテキストを追っているうちに、やっぱりちょっと厳しいかなあという気にもなったのですが、(実際、隣の初老の外国人は途中で席を立ってしまいました。)ある一点を境に(それがどこかは明確に覚えていないのですが)、急に言葉が入ってくるようになったのです。自分でも意外だったのですが、それからは、ひたすら役者の発する言葉の奔流とリズムに打たれ続けるような感動で、ただもうずっと終わらずに、いつまでも続いてほしいと思っていました。

サッカーの試合のように何度も倒れながら、起き上がっては、とめどなく言葉を発し続けてきた人物たち。そして決して交わらなかった人物たち。それが最後に、並んで手をつなぎ、ひとり倒れ込んだ「ママ」を呼びながら何度も手を引くのですが、その手に力はなく、もう「ママ」は起き上がらない。その場面の悲しさと美しさは相当なものでした。

スポーツと戦争の関係がテーマになったその戯曲のテキストの意味を読み解けるほどの教養は僕にはありませんが、その舞台からは確かに戦争というもののもたらす、底知れない何か、叫ばずにいられない何かを感じることが出来たと思います。創作において、誠実に戦争を語り、それを観客が感じるには、質においても量においても、あれだけの言葉が必要なのだと、終演後はしばらく何の言葉も浮かばずに、駅までの道を歩きました。ロームシアターを出ると月がきれいで、劇場から出てきた人たちも皆あまりしゃべらずに月を見ていたようでした。

 

さらさらっと書くつもりが、そこそこ長くなりそうです。
というわけで、続きは次回のエントリーにしたいと思います。

森村泰昌連続講座「新・美術寺子屋/自画像の話」第1回

森村泰昌連続講座「新・美術寺子屋/自画像の話」

第1回 「レオナルド・ダ・ヴィンチ~自画像にはきっとウソがある」

聴きに行って来ましたので、覚書として書いておきます。

部分部分、正確でないところもあるかもしれませんので、ご容赦ください。

また、分かりやすさのため、画像もWikipedia からコピーして掲載しています。Creative Commonsなので、問題ないかと思っているのですが、問題があるようでしたらご指摘いただけると幸いです。

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今回は全10回シリーズの初回で、それほど宣伝もされていなかったようですが、ファンの多さからか、テーマが面白そうだからか、会場は満員でした。

森村泰昌でテーマが「自画像」、それも全10回となれば、これは本気だと思わせるものですが、期待にたがわず初回から非常に面白い内容でした。

まずは日本の美術における自画像について考える導入として、東京芸大の卒業制作では、卒業生全員が自画像を描く伝統があり、それを全て大学が買い上げる仕組みになっているという話が紹介されました。それは明治から続く伝統で、つまり日本の美術教育で自画像が非常に重要視されてきたことを意味します。

そこで、田中英道の著作「画家と自画像-描かれた西洋の精神」が引用され、「自画像とは西洋の精神を描くものではないか、そしてそれは何を意味するのか」という問いが出されました。

これは非常に大きな問いで、森村さんにとっても、その答えは「分かりません(笑)」と冗談っぽくおっしゃってましたが、続けて「しかし、あるものを媒介に西洋における自画像の始まりを考えることはできます。それは『鏡』です。」と、鏡というキーワードが提示され、話は自画像の歴史に入っていきました。

一般的に自画像の始まりとされているのは、ヤン・ファン・エイクが1443年に描いた「ターバンの男の肖像」だそうです。(ヤン・ファン・エイク - Wikipedia)

ヤン・ファン・エイク
Portrait of a Man by Jan van Eyck-small.jpg
『ターバンの男の肖像』 1433年

これまでも、宗教画などに画家が自分の姿を描き込むことはあったものの、自分自身を主題として書かれたものは、これが始まりと考えられるようです。

このころ描かれた自画像をみると、ポーズや左右の反転などから、明らかに鏡を見て描かれていることがわかる。これは、それまでの金属板を磨いた鏡から、ガラスを用いた鏡へという技術の進歩のおかげで、自分自身の姿を明瞭に見られるようになったことが、決定的な影響を持っている。そしてまた、神のみが見ることができた自身の姿を、自分自身で見られるようになったことで、やがて自画像の表現の軸足も神から人へと移っていったということです。

そして、ヤン・ファン・エイクと比較してより人に軸足を置いた自画像として、アルブレヒト・デューラーの描いた「1500年の自画像」が紹介されました。(アルブレヒト・デューラー - Wikipedia

アルブレヒト・デューラー
Albrecht Dürer
Albrecht Dürer - Selbstbildnis im Pelzrock - Alte Pinakothek.jpg
自画像(1500年)

自信に満ちた表情で正面を向いた自画像。右手の長い印象的な人差し指は、自分自身を指し示しているようにも、絵筆の象徴のようにも、またこの右手のポーズが十字を切り終わった最後のアクションのようにも見える。いずれにしても28歳とは思えないほどの意志と威厳を観る者に感じさせる自画像です。

ゲーテも愛したというこの自画像において、自画像を鑑賞するという行為が「人間と人間(画家と鑑賞者、または画家と画家自身)とのプライベートな領域での出会い」として成立するようになったと言えるそうです。

そしてここでいよいよ、第一回のテーマであるレオナルド・ダ・ヴィンチの話に入ります。キーワードは「もうひとつのThe自画像としてのレオナルド」。

レオナルド・ダ・ヴィンチの自画像として誰もが見覚えのあるのが、トリノ王宮図書館が所蔵するこの作品。

Leonardo da Vinci - presumed self-portrait - WGA12798.jpg
トリノ王宮図書館が所蔵するレオナルドの自画像。1513年 - 1515年

 深い知性がしわに刻みこまれたような有名な自画像ですが、森村さんはこれが本当にレオナルドなのかという疑問を呈します。ポピュラリティは疑ってかかった方が良い。

参考として挙げられたのが、同時代人のレオナルド評。そのいずれもが、レオナルドの特徴として、特に美形・優美な男性としての印象を述べています。曰く、ピンクのチュニックを着ていた(!)。ひげは常に美しく手入れされていた。誰もが感嘆する優雅な身のこなし。さらに、弟子たちにもおしゃれな服装をさせていた等々。レオナルドの知性や、才能よりも容姿に関する記述が多いのです。

それにしては、このトリノ王宮図書館の自画像はずいぶん気難しい印象です。

確かに、弟子であるフランチェスコメルツィの描いたレオナルド像の美形ぶりの方が人物評に合っているように思えます。(Leonardo da Vinci - Wikipedia, the free encyclopedia)

Leonardo da Vinci
Francesco Melzi - Portrait of Leonardo - WGA14795.jpg
Portrait of Leonardo by Francesco Melzi.

付け加えると、同時代人の人物評では、現代ほどレオナルドは偉大な人物としては評価されていないそうです。実際、現存する作品9点のうち完成された作品は3点のみ。建築でも有名なレオナルドですが、それもどちらかというとプロデューサーのような役割だったよう。ミケランジェロなどと比べると、形として残した仕事がそれほど多くはない。自らが手掛け、残した仕事のスケールで判断すれば、レオナルドはそれほど大きな仕事を残したとは言えない。

そのようなレオナルドの評価が一変するのが19世紀。手書き原稿の研究が一気に進み、残された膨大な記録から、レオナルドが天文学から医学、科学から芸術までいかに途方もないスケールの思想家だったかが分かり、「西洋の精神の頂点・原点」として認識されるようになったそうです。

そのようなキャラクターを与えられたレオナルド・ダ・ヴィンチにとっては、トリノ王宮図書館が所蔵するレオナルドの自画像は、いかにもふさわしい顔であると言えます。そうなると、これこそがレオナルドであるということになる。ちなみに、この自画像はレオナルドと考えられてはいますが、確定されたわけではないそうです。

これが本当のレオナルドであるかどうかは不明としても、結果的にこの禿頭と白ひげの自画像が「偉大な賢人のプロトタイプとしての自画像」となり、その後の歴史に登場する人物、マルクストルストイ、日本でも伊藤博文などの肖像に同様のイメージが与えられるようになります。

 

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トルストイ

Itō Hirobumi.jpg

伊藤博文

こうして、レオナルドの自画像は、「人間と人間とのプライベートな領域での出会い」としての自画像とは異なる「もうひとつのThe自画像」としての性格を持つに至ったというわけです。

「はたして、レオナルドのプライベートな自画像はどのようなものだったのでしょうか?」

という問いかけで、第1回の講座は終了となりました。

2時間近い講義でしたが、非常に興味を掻き立てられる面白い内容でした。

16世紀に西洋で生まれた2つのタイプの自画像が、明治から続く日本の美術教育や、伊藤博文の肖像にも投影されていることは、森村泰昌さんが今、自画像を講座のテーマとしたことと合わせて、日本の近代化から現在につなげて考えられる事柄が含まれていると思います。

Ustreamでも毎回生中継されるこの連続講座、あと9回、楽しみです。

※森村さんは、ダ・ヴィンチの作品の多くが未完成であることには重要な意味があるということもちらっとおっしゃってました。今回は深く触れられませんでしたが、そこもかなり気になりました。

morimura2016.com

三徳山三佛寺-秋会式(炎の祭典と火渡り神事)と投入堂を見る

日本一危険な国宝と言われる「投入堂」。

鳥取県の霊山「三徳山」の険しい修験道を登った者だけが見ることができる、標高520メートルの断崖絶壁に立つ謎の平安建築です。

藤森照信×山口晃の「日本建築集中講義」に取り上げられていたのを読んでから、いつか見たいと思っていましたが、10月26日に行って来ました。

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10月26日にしたのは、その前日が10月の最終日曜日にあたり、投入堂がある三徳山三佛寺で最大のおまつり「秋会式」の炎の祭典と火渡り神事があったから。

神事と投入堂、両方見られる絶好のチャンスだったわけです。

 

行くと決めたら、まずは交通手段と宿泊です。

三佛寺のホームページによると大阪からだと、三朝温泉までの直行バスがある模様。

たしかにありました高速バス。これは便利ということで交通手段は決定しました。

日交高速バス| 倉吉〜神戸・大阪線

※後で気づいたのですが、高速バスの停留所、「三朝温泉口」は三朝温泉街とも路線バスのバス停とも離れていました。三朝温泉街の旅館、三徳山に行くには、倉吉駅で降りて、路線バスにのるのが一番効率的だと思います。

 

次に宿泊。できれば、三佛寺の宿坊に泊まりたかったのですが、電話したところ、「その日は年で一番大きなおまつりがあるから忙しくて無理ですー」とのこと。

そういうことなら、せっかくだし温泉もということで、ちょっと離れた三朝温泉の温泉宿の中で一人でも泊まれる安い部屋を探して予約。三朝温泉から投入堂までは路線バスがあるということで、宿も決定。

食事はまあ現地でなんとかなろう。準備は完了です。

10月25日(日)三徳山三佛寺 秋会式(炎の祭典と火渡り神事)

快晴。神戸三ノ宮からの高速バスは座席の間も広く快適。景色も街から離れるにつれて、秋の山肌が美しく、うつらうつらしてる間に3時間半はあっという間、13時前に倉吉駅に到着。路線バスを探して、炎の祭典が行われているはずの三徳山へ。

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※後で気づいたのですが、味のあるデザインの3日間有効のバスフリーパス(1800円)がバスセンターで売ってました。倉吉駅三朝温泉投入堂の行ったり来たりには、お得です。ちなみに、バス会社販売の2日間有効のパスもあります。

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さて、さぞ三徳山へ向かう信心の徒も多かろうという予想を裏切り、バスに乗り込んだのは僕とおばあさんの二人だけ、と思ったら、発車寸前に地元の女子高生グループが7、8人で乗り込んできて、車中ずっとコイバナ。

んー、今日は三徳山三佛寺の年に一度の大祭のはず。本当にこのバスであってるのかと不安になったものの、女子高生は三朝町役場前で降り、おばあさんも三朝温泉病院前で降り、山道を登り始めるころには、ガラス越しにも霊山の神妙な空気が漂い始めました。

道沿いに駐車した自家用車の列が見えだし、車中に国宝投入堂に関する観光アナウンスが流れるのを聞いた時は、さすがに若干気持ちがアガりました。

じきに意外なほどひっそりとした登り口に到着です。

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この階段の上が三佛寺、少なからぬ人の気配を感じます。

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結構急な階段が、明日登る予定の投入堂のイントロダクションのようです。

階段を上り、和光院、皆成院などのお寺を過ぎ、もう一度階段を上ると、本堂の前に大勢の人波。まさに、これから炎の祭典が始まるところでした。

 

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今始まるかと思いながら見てるものの、地元議員や町長さんたちのスピーチが結構長く続きます。話を聞いていると三徳山も観光地としてのアピールが一番の課題のようで、集まった地域の皆さんとそれを共有していこうという内容。神事としてのディープさより、ほわっとしたコミュニティ感が広がります。

スピーチが一巡すると、山伏の正装に身を包んだ修験者が東西南北の上空に向けて順番に矢を放ちます。それを拾ったひとは矢を持ち帰って幸運のお守りにするようです。ここものんびりとしたもので、ゆっくりと矢が射られるたびに歓声があがり、見事ゲットした人は嬉しそうに笑ってます。一本は木の枝に引っかかり、みな爆笑。修験道の秘法というディープ感はなく、ゆるーい空気です。

東西南北2巡してその儀式も終わり、ほら貝での合図のあと、いよいよ炎が焚かれます。

相当な樹齢を経ていそうな老杉に囲まれた本堂前。やぐらに積み上げられた緑の束に修験者が火をつけると、みるみる煙が立ち上り、澄んだ山の空気に広がっていきます。

どうやらこの煙を浴びることも霊験があるようです。山伏たちが、般若心経を唱え始めると参拝客も唱和します。

やがて、炎が大きくなると、採燈護摩法要が始まりますほら貝の音とともに山伏行者達が、あらかじめ集められた願いの書かれた護摩木を次々と火の中に投げ入れていきます。

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まだ午後3時くらいでしたが、高い杉木立の中なので、炎の明るさが眩しく映ります。

ばちばちとはぜる護摩木の音、般若心経、燃え上がる炎、凛とした山の空気、土と煙の匂い。五感が刺激される、なかなかの体験でした。

 

護摩法要がおわると、いよいよ火渡り神事です。

燃え盛る火の上を素足で渡る修験道の秘法。煩悩が清められ、諸願成就。

今から準備しますというアナウンスがあり、火渡りのための火が焚かれます。道にそって火を燃え上がらせたあと、調節して弱めるようです。

人の波が動き始め、老若男女が本堂前に敷かれたビニールシートの上に靴を脱いで上がっていきます。見渡してみると、ほとんどの人が頭に緑色の鉢巻きを巻いています。

鉢巻きはテントの中で売っているらしく、どうやらそれを巻いているのが、火渡り神事に参加する人のよう。小さいこどもから、80才を超えていそうなおじいさんもいて、ああ、地域の人にとっては、小さいころから年老いるまで、親から子、孫まで世代を超えて何百年も続く行事なんだなと歴史を感じました。

最初は、間に合えば僕も参加して、迷いを払い、煩悩を清めるかと意気込んでいたのですが、階段の上から見渡しているうちに、緑の鉢巻きに地元コミュニティの一体感を感じてしまい、アウェーな気分のまま、輪の中に入っていけませんでした。

まずは、裃をつけた議員さんたちから歩いていきます。修験者が手を引いてサポートしてくれていますが、どう見ても熱そうです。煩悩があると、熱さを感じるそうですが、遠目に見るだけで熱そうだと思うのは相当な煩悩レベルなのかもしれません。

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時計を見るとバスの時間が迫っていました。場所が場所だけに、バスの本数も多くはなく、一時間に一本もありません。今日のところは満足。緑の鉢巻きの老若男女が、列を作り始めたあたりで、寺を降りました。明日の朝、投入堂まで登るために、またここに来るのです。

 

三徳山三朝温泉倉吉駅は同じバス路線なのですが、倉吉駅のロッカーに荷物を預けていたので、一旦倉吉駅まで戻った後、同じバスで三朝温泉まで。フリーパスがあると便利です。

 

三朝温泉は、温泉街としては、こじんまりとした落ち着いた印象で、ゆっくりするにはとてもいい感じです。川沿いの眺めもよく、気に入りました。

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10月26日(月)投入堂三朝温泉病院

 いよいよ、念願の投入堂参拝の日が来ました。旅館の窓を開けると、登山の大前提となる天気は快晴。良い日になりそうです。

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投入堂に登るには、いくつかの条件があります。

  1. 雨が降っていないこと
  2. 服装が登山に適していること。特に靴は、トレッキングシューズなど滑らないもの
  3. 一人での入山は禁止。最低2名以上で登ること
  4. 入山時間は8時から15時の間

1はクリアー。2は靴がスニーカーでしたが、現地で売っている草鞋に履き替えるつもりなのでOK。一番の心配は3でした。近年、2年に一度くらいの割合で、滑落による死亡事故があるらしく、安否確認のために最低2名で登る決まりになっています。

今回は一人旅なので、現地で同行者を見つけなくてはなりません。平日だし、すぐに見つかるものやら検討がつかないため、とにかく朝イチのバスで投げ入れ堂に向かうことにしました。

月曜日、朝8時のバスには運転手さんだけ。同行者が見つかるか若干不安がよぎります。

8時半に三徳山三佛寺に到着。

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昨日あれだけの人がいた三佛寺ですが、今日は誰もいません。受付案内所でまずは、三佛寺への参拝料金を払おうと、竹ぼうきで庭を掃いているおじいさんに声をかけます。無言で案内所に入ってくると「登られますか?」とひとこと。

「はい。」

「一人じゃ登れませんからね。」

「知ってます。なので、同行者を見つけようと思ってるんですけど。」

「見つかればいいけど、なかなか見つからなかったら参拝料が無駄になりますから。あなたも予定があるだろうし。ここで待ってて、同行者が見つかってからお支払いになったらいかがですか?」

「一日に何人くらい来るんですか?」

「日によります。何百人も来る日もあるし、雨が降ったら20人くらい」

「まあ、でも今日は投入堂だけの予定なので。とりあえず入って、登山口で待ちます。」

「そうですか。時々振り返って、人が来ないか確認した方がいいですよ。」

 

んーなかなか難しいなと思いながら、料金を払い、階段を上ると、軍手を売っていたのでとりあえずお金を入れて一組とります。

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 昨日と同じ階段をのぼり、本堂を過ぎて、登山受付の前まで来ると、待合のテントがあり、投入堂のドキュメンタリーがテレビから流れています。ここまで来て、さっきの受付で待っていた方が、登山者に確実に声を掛けられるような気がしてきました。

参拝料は払ったけれど、一旦出て、目の前で同行者を待ってても、細かいことは言われないだろうと、登ってきた階段を下りかけると、ニット帽にリュック、トレッキングシューズを履いた男性がひとりで階段を登ってきます。近づいて「投入堂に登られるんですか?」と声をかけると「ええ。さっき受付の人から、ひとり上で待ってるからって言われました。」

という返事で、あっさり同行者が見つかりました。

話を聞くと、プロの山岳ガイドの方で、来週、団体ツアーのガイドとして投入堂に来るので、下見に来たとのこと。ひとりでは入山できないことを知らなかったようで、お互い助かったというわけです。

さあ、いよいよ登山です。

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二人で登山事務所に入っていくと、受付の若いお兄さんがさわやかに迎えてくれました。

簡単な注意事項の説明を受け、名簿に名前、連絡先、入山時刻、そして、事故があった場合の連絡先を記入します。

200円の登山料を払うと、輪袈裟(わげさ)というたすきを渡されます。投入堂への道は、あくまでも観光でなく修行なので、袈裟をする必要があるのです。お守りの意味もあるのかもしれません。いってらっしゃいと送り出されそうになったのですが、気がかりなことがひとつ。

「あの、靴がだめだと思うんですけど」とスニーカーを見せると、

「んー。今日の天気ならオッケーです!」

えっ!ぜんぜん街歩き用のスニーカーなんですけど!しかし、受付の人がOKというものを、だめでしょうというのもはばかられ、そのままスニーカーで登ることに。

ここで同行の男性が、受付の人に質問をしました。

 

「来週、団体を連れて来るんですが」

「団体さんですか・・。何人くらいですか?実は昨年、団体さんで・・・」

「知ってます。下山したら一名いなくなっていたっていたっていう。」

 

どうやら、団体ツアーの客で、投入堂に参拝後、下山してから滑落者がいたことに気付いたという事故があったようです。その方は滑落した時点で助からなかったということですが、気づいたときから見つかるまでのことを想像するとちょっと背筋が寒くなります。危険とは聞いていたものの、登山直前にそういう話を聞くと、さすがにリアリティが違います。

しかし、ここまで来ると怖いというよりも、集中力が高まる感じです。準備はOK、出発です。

橋を渡って門をくぐります。

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登り始めから、噂にたがわぬ険しい道が続きます。同行者は山岳ガイドなので、装備も完璧、効率的にどんどん登っていきます。こちらも付いていきますが、なにせ街歩き用のスニーカーなので、時々滑ります。なんだかんだで足場は見つかるのですが、足元が不安なのと、勾配が急なため、ほとんど手をついて、全身で登る感じでした。

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やがて、現れる中間地点の文殊堂。鎖をつかんで登ります。こういうところは、手の力でなく、足の力で登るつもりの方が安全らしいのですが、勾配が急すぎるので、結局腕力で登った感じです。女性には結構きついのではないでしょうか。

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しかし、文珠堂からの眺めは最高でした。紅葉にはもう少しというところでしたが、こんな景色は、なかなか拝めるものではありません。

安全用の柵などないので、体の前に何もないというのも、この開放感の理由だと思います。一周ぐるりと回れて、「落ちたら確実に死ぬ」ポイントもあるのですが、意外と怖さを感じないのは修行の道中だからでしょうか。f:id:thonda01:20151108190638j:plain

と思って、同行者に取ってもらった写真を後から見ると、ぴったり壁にくっついていましたので、体はしっかりびびっていたのだと思います。

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文殊堂の後は、勾配は緩やかになる代わりに、通れる道が狭く「両脇が谷になってる平均台」を渡るような難所が続きます。この辺りは、さすがに写真を撮る余裕はありませんでした。

途中には、鐘撞堂や観音堂などのそれぞれ謎めいた建物があります。

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そして、観音堂をすぎて、岩陰をまわると、突然開けた眺望に投入堂が現れました。

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写真では見ていましたが、実物を見ると周囲の崖も含めたスケールの大きさに、そこに建っていることに、なんだか現実感がありません。むき出しになった骨組みや、柱、平安風の茅葺屋根など、あらかじめ見たいと思っていた建築的な見どころもあったのですが、そういうディテールにも目がいかず、ただ不思議な感じにうたれながら、見上げていました。

しばらく、時間を過ごしたあと、同行者に記念撮影をお願いして、下山です。立ち去る間際に再度振り返って、これが参拝だったことを今更思い出し、投入堂に手を合わせます。

帰り道は、一度登ってきたコースなので、ある意味不安は少ないのですが、当然下り坂の方が滑りやすく危険です。知ってる道なので、緊張感が薄れるのがかえって危ない。滑落事故もほとんど下りの道で起きているということですので、あくまで慎重に、急な勾配は、後ろに手を突きながら降りて行きました。

文殊堂横の鎖坂は多分下りには使わないのですが、同行者である山岳ガイドの「懸垂下降で行きましょう」のひとことで、鎖をつかんで下ることに。

一応やり方を説明されて、体を岩からはなして足をぴったり岩につけて降りるように言われたのですが、スニーカーが滑るので結局腕で体を支える感じで降りて行きました。

ときどき足が滑ると、先に降りた同行者が「気を付けて!」と叫んでましたが、「そもそも、ここ下りるとこじゃないし!」と心の中で返していました。もっと距離が長かったら、危なかったと思います。

なんだかんだで、無事下山。輪袈裟を返し、下山時間を記入した時に、一気に緊張が解けました。

受付の人の話では、今は気候的にベストシーズンのひとつだそうで、春や梅雨時などは、地面も湿っていてもっと滑りやすいそうです。スニーカーでOKが出たのも一番登りやすいコンディションだったからのようでした。

平日の朝早い時間だったおかげで、他の登山者もほとんどおらず、1時間半で往復しました。戻りの道中ではすでに人が増えてきていたので、昼頃には、狭い道は渋滞状態になるのかもしれません。まあ、並んで通れるようなところはないのですが。投入堂は、ちょっと無理しても朝イチがおすすめです。

 

投入堂から無事下山した安心感の中、心地よい疲れとともに、本堂や宝物殿などを見学。仏像を鑑賞したり、三佛寺の歴史の解説をゆっくり読んだり、お土産を買ったり。

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ゆっくりと階段を下りて、三佛寺を後にし、周辺をぶらぶらしたあと、100年以上の歴史があるという老舗の食堂「天狗堂」へ。山菜と名物の三徳豆腐を使った天ぷら定食。本当はお寺の精進料理が食べたかったのですが、むしろこっちで良かったというくらい美味しかったです。

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あとはバスで温泉街に帰って、ゆっくり散策でもしながら、夕方になれば外湯巡りでもして・・・などと考えながら、バスの時間を調べると15分後の出発。次のバスは一時間半後。

 

・・・んー、でも間に合わないなあ。まだ天ぷらいっぱい残ってるし。急ぐ用事もないし、ゆっくり食べたいし。

 

・・・・あと5分。あと天ぷら3個か。

 

・・・・あと3分。バス停すぐそこだし・・・間に合うかも。

 

残りの天ぷら2個を口に放り込んで、バッグをつかんで立ち上がりました。

バスまで2分。店は座敷だったので、縁側でスニーカーをひっかけて、店から車道まで一気に下りました。あと一分。間に合うか。ウェストポーチを腰に巻く暇もないまま、両手に荷物をもってアスファルトの道を駆けました。

バス停が目に入り、間に合う!と下り坂に足を速めた刹那、足がもつれ左足がつま先から内側に曲がりました。左足に激痛を感じながら、バス停に到着すると、同時にバスが入ってきて、足をひきずりながら無事搭乗。

座席に座ったものの、この時点でちょっとやばい痛みだという気がしました。10分程度で温泉街につき、降りようとすると、再び激痛が走ります。

とりあえず、温泉街には着いたものの、宿まで歩けそうにありません。その時バス停の目の前に足湯があることを思い出しました。

野生動物は傷を負うと本能で温泉につかって傷をいやします。ここは野生動物に従うべきだと、とりあえず足湯まで歩いて行って、痛めた左足をお湯につけます。

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とはいえ野生動物ではない現代人、スマホを取り出し、捻挫についてググると「お風呂は厳禁」の文字。間違ってるじゃん!と慌てて左足をお湯から引き抜きます。さらに調べると、とりあえずすぐ病院で見てもらう必要がありそう。ここで思い出しました、確か先ほどのバス停の次の次は「三朝温泉病院前」だった!。調べてみると三朝温泉病院には整形外科があります。なんとかバス停までもどり、バスを待ちます。温泉街までもどるとバスの本数も多く、すぐにバスが来ます。

やってきました三朝温泉病院。

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受付で保険証を出すと、「受付時間外なんですが」と言う説明。

絶望にとらわれながら「さっき捻挫したんですけど・・・」と言うと、明らかに歩けない様子を見て、内線をかけてくれ、「診察します」という天使の声。

問診表に状況を記入して看護婦さんに渡します。

「耐えられない痛みが10だとすると、今どれくらいですか?」

「8・・・7ですかね。」

と、言いながら診察室まで歩こうとしましたが痛みで歩けず、車いすに乗せられます。

順番待ちもなく、すぐ診察。先生の名札をみると院長先生でした。

足首を触って「痛みますか」「いいえ」。

足を曲げてみて「痛みますか」「いいえ」。

「んー・・・・。」

足の甲を触られると痛みますかと聞くまでもない反応。

「んー。骨折してますねえ。」

「骨折・・・・・・ですか????」

「多分」

部屋を移動し、レントゲンをとってもらったあとの気の使われ方で、不安は確信へと変わります。再び診察して、第5中足骨骨折が確定しました。

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旅行中で、明日、大阪まで帰る旨を先生に説明すると、看護婦さんも一緒にずいぶんと心配してくれ、なんとか負担の少ない方法を考えてくれました。
松葉杖では移動に困るでしょうと、ギプスの代わりにギプスシーネという簡易ギプスでなんとか松葉杖なしの簡易処置を施してくれようとしたのですが、結局松葉杖なしは無理だろうということで「あなたを信用しますから。後で送ってくれればいいから」と、病院の松葉杖を貸してくれました。

やっぱり都会の病院とはちょっと違う暖かさを感じました。

こんなところで、旅先の人情に触れるとは、なかなかない経験です。松葉杖の使い方を説明してくれたリハビリ担当の若い女の子の三朝弁が、全く聞き取れなかったのも良い思い出になりました。

じゃらんに「三朝温泉病院」があれば、5点あげたいと思います。

病院を後にして再びバスに乗り、カランコロンと下駄がなる温泉街へ、松葉杖の音を響かせながら片足をひきづり宿までもどり、「投入堂の無事下山+バス停で骨折」をメールとSNSで関係各所に報告しました。

たくさんの心配と、「投入堂行って、そこで骨折!」という突っ込みと、哄笑を頂きながら、眠りにつきました。

 

10月27日(火)

翌朝は、朝食を持ってきた仲居さんに、

「昨日は晴れて良かったですねえ・・・あらあ!どうしたんですかあ!!」

というお約束のリアクションを頂き、「駅まで送迎バス出しましょうか」という親切なお言葉もいただきましたが、せっかくの旅の最後はせめて駅までゆっくり帰りたかったので辞退し、いろんな意味で名残を惜しみながら、倉吉駅を後にしました。

 

高速バスと阪急電車で地元に戻ったその足で、近くの病院に行ったところ、ギプスをやりなおし、両松葉杖で全治一か月となりました。

 

初めての骨折、松葉杖で、2週間経ちましたが、なんだか、この骨折のために投入堂への旅がまだ終わってないような感じがします。

骨折がなければ、すんなりと楽しい旅行で終わってたはずですが、そうはならずに、色々と考える機会を与えられたというのは、投入堂が修行の場だということを考えると、むしろ意味があることではないかと半分本気で思います。

そう思いながら、またそのうち、もう一度、三朝温泉三徳山三佛寺を訪れたいと思うのでした。

 

JT生命誌研究館に行ってみました。

大阪府高槻市にある、JT生命誌研究館に行ってみました。

JTによって運営されているゲノムやDNAなど、生命科学に関する企業博物館で、学芸員だけでなく一線の研究者も常駐しており、各人の研究を行っている点でユニークなのだそうです。

もともと、入り口に展示してあるという、「生命誌絵巻」という絵に興味があったのですが、ホームページを見ていると、ちょうどギャラリートークもあったので、ぶらっと出かけてみたのです。

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館内に入ると、来場者は少なめ。ちなみに、申請書を記入すれば、写真撮影もOKとのこと。ちょうどギャラリートークのツアーが始まるところでした。

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大学院生の方によるギャラリートークだったのですが、これがとても面白かったです。

一時間半くらいのツアーで、館内の展示物を簡単に説明していくのですが、進化やDNAなど全く知識が無くても(無いだけに?)、聞くことすべて「なるほどー」の連続で、ずっと首を縦に振りっぱなしでした。

たとえば、チョウは種類によって、幼虫の食べることのできる植物が決まっているそうです。

植物は生存のために毒を持っているのですが、それを餌にするチョウの側でも生きなければなりませんので、解毒できるようになっている。しかしそれは、一対一の関係で、例えば、ナミアゲハであれば、みかんの葉だけが食べられる。キャベツを食べたら死んでしまうそうです。

なので、卵を産む前に母チョウは、それがミカンの葉かどうか調べる。しかしチョウの口は蜜を吸うために細長くなっていて、葉っぱの味見はできない。そのためにチョウは脚に味覚があって、脚で葉っぱを削ってそれが餌になる安全な植物か識別しているのだそうです。チョウがときどき脚で葉っぱをひっかいているのはそういう動作でドラミングというそうです。この一対一の関係は不便なようでいて、逆にチョウと植物それぞれの種類で棲み分けるため、互いに生存し続けることができる仕組みになっているとのこと。

これはJT生命誌研究館の研究成果で、科学誌Natureにも掲載されたそうです。

館内にはこの研究のためのチョウのための植物園「食草園」もありました。

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他にも、いろいろと面白い話を聞かせてもらいましたが、この研究館の建物のつくりで面白かったのは、中央を通っている「生命誌の階段」。

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DNAを模してらせん状になった階段は、一段が一億年にあたり、階段の途中に、進化の過程におけるその時点のエポックな出来事がイラストとともに、解説されています。

46億年前の地球誕生から、38億年前の生命誕生(細胞に内と外を隔てる「膜」ができたことが大変重要とのことです。)、25億年前の葉緑体の誕生による光合成の始まり(酸素の生成)、20億年前の単細胞から多細胞へと進化した生物(ヒドラ、サンゴ)の出現、5億年前の気温の急上昇、そして海中から陸上への生物の上陸。

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現代である最上段まで登って階下を見下ろせば、生物のあゆみに想いをはせることができますが、その時に、人間だけでなく、現在のあらゆる生物にも同じ進化の過程があり現在を共に生きていることを感じてほしいということでした。

確かに、人間もこの膨大な時間の中で変化してきたあらゆる生物のつながりの一部であることが感覚的に理解できる気がしました。

現在、地球上の生物で確認されているのは3000万種ほどだそうですが、ゲノムの解析によると実際には6000万種ほどいると推定されているそうです。その地球上の生物を進化の過程で扇形に表したのがこの生命誌絵巻です。

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扇の根元にあたるところが、生物の共通祖先。どんなものだったのかは、まだ分かっていないそうですが、地質学の研究成果によって、38万年前にアミノ酸があったことが発見されており、それが生物の発生とされているということでした。

上に行くにしたがって時代が進みますが、縦に生物の共通性、横に生物の多様性が表されており、そして、そのような共通性と多様性の一部として、人間も左端に位置しています。

生命誌の階段と合わせて見れば、人間は、想像できないほど遠くからの時間と空間のなかで続いてきた生命の流れの中の構成要素であり、偶然でも必然でもあり、取るに足りないものでもあり、奇跡的なものでもあるのだと思います。

この絵に描かれている生物には絶滅したものもいますし、そのスケールで見れば人間もいずれはいなくなるのでしょう。しかし、この絵を見ていると、それで終わりではない。生命というのは人類の生存すら超えて、過去から未来へと続いていく、もっと大きなものだいうことが感じとれるような気がしました。

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