観ないとソンダと思ったので

だれでも発信できること自体が良いことと聞いたので、美術展や映画、音楽などの感想など書いてみます。

森村泰昌連続講座「新・美術寺子屋/自画像の話」第1回

森村泰昌連続講座「新・美術寺子屋/自画像の話」

第1回 「レオナルド・ダ・ヴィンチ~自画像にはきっとウソがある」

聴きに行って来ましたので、覚書として書いておきます。

部分部分、正確でないところもあるかもしれませんので、ご容赦ください。

また、分かりやすさのため、画像もWikipedia からコピーして掲載しています。Creative Commonsなので、問題ないかと思っているのですが、問題があるようでしたらご指摘いただけると幸いです。

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今回は全10回シリーズの初回で、それほど宣伝もされていなかったようですが、ファンの多さからか、テーマが面白そうだからか、会場は満員でした。

森村泰昌でテーマが「自画像」、それも全10回となれば、これは本気だと思わせるものですが、期待にたがわず初回から非常に面白い内容でした。

まずは日本の美術における自画像について考える導入として、東京芸大の卒業制作では、卒業生全員が自画像を描く伝統があり、それを全て大学が買い上げる仕組みになっているという話が紹介されました。それは明治から続く伝統で、つまり日本の美術教育で自画像が非常に重要視されてきたことを意味します。

そこで、田中英道の著作「画家と自画像-描かれた西洋の精神」が引用され、「自画像とは西洋の精神を描くものではないか、そしてそれは何を意味するのか」という問いが出されました。

これは非常に大きな問いで、森村さんにとっても、その答えは「分かりません(笑)」と冗談っぽくおっしゃってましたが、続けて「しかし、あるものを媒介に西洋における自画像の始まりを考えることはできます。それは『鏡』です。」と、鏡というキーワードが提示され、話は自画像の歴史に入っていきました。

一般的に自画像の始まりとされているのは、ヤン・ファン・エイクが1443年に描いた「ターバンの男の肖像」だそうです。(ヤン・ファン・エイク - Wikipedia)

ヤン・ファン・エイク
Portrait of a Man by Jan van Eyck-small.jpg
『ターバンの男の肖像』 1433年

これまでも、宗教画などに画家が自分の姿を描き込むことはあったものの、自分自身を主題として書かれたものは、これが始まりと考えられるようです。

このころ描かれた自画像をみると、ポーズや左右の反転などから、明らかに鏡を見て描かれていることがわかる。これは、それまでの金属板を磨いた鏡から、ガラスを用いた鏡へという技術の進歩のおかげで、自分自身の姿を明瞭に見られるようになったことが、決定的な影響を持っている。そしてまた、神のみが見ることができた自身の姿を、自分自身で見られるようになったことで、やがて自画像の表現の軸足も神から人へと移っていったということです。

そして、ヤン・ファン・エイクと比較してより人に軸足を置いた自画像として、アルブレヒト・デューラーの描いた「1500年の自画像」が紹介されました。(アルブレヒト・デューラー - Wikipedia

アルブレヒト・デューラー
Albrecht Dürer
Albrecht Dürer - Selbstbildnis im Pelzrock - Alte Pinakothek.jpg
自画像(1500年)

自信に満ちた表情で正面を向いた自画像。右手の長い印象的な人差し指は、自分自身を指し示しているようにも、絵筆の象徴のようにも、またこの右手のポーズが十字を切り終わった最後のアクションのようにも見える。いずれにしても28歳とは思えないほどの意志と威厳を観る者に感じさせる自画像です。

ゲーテも愛したというこの自画像において、自画像を鑑賞するという行為が「人間と人間(画家と鑑賞者、または画家と画家自身)とのプライベートな領域での出会い」として成立するようになったと言えるそうです。

そしてここでいよいよ、第一回のテーマであるレオナルド・ダ・ヴィンチの話に入ります。キーワードは「もうひとつのThe自画像としてのレオナルド」。

レオナルド・ダ・ヴィンチの自画像として誰もが見覚えのあるのが、トリノ王宮図書館が所蔵するこの作品。

Leonardo da Vinci - presumed self-portrait - WGA12798.jpg
トリノ王宮図書館が所蔵するレオナルドの自画像。1513年 - 1515年

 深い知性がしわに刻みこまれたような有名な自画像ですが、森村さんはこれが本当にレオナルドなのかという疑問を呈します。ポピュラリティは疑ってかかった方が良い。

参考として挙げられたのが、同時代人のレオナルド評。そのいずれもが、レオナルドの特徴として、特に美形・優美な男性としての印象を述べています。曰く、ピンクのチュニックを着ていた(!)。ひげは常に美しく手入れされていた。誰もが感嘆する優雅な身のこなし。さらに、弟子たちにもおしゃれな服装をさせていた等々。レオナルドの知性や、才能よりも容姿に関する記述が多いのです。

それにしては、このトリノ王宮図書館の自画像はずいぶん気難しい印象です。

確かに、弟子であるフランチェスコメルツィの描いたレオナルド像の美形ぶりの方が人物評に合っているように思えます。(Leonardo da Vinci - Wikipedia, the free encyclopedia)

Leonardo da Vinci
Francesco Melzi - Portrait of Leonardo - WGA14795.jpg
Portrait of Leonardo by Francesco Melzi.

付け加えると、同時代人の人物評では、現代ほどレオナルドは偉大な人物としては評価されていないそうです。実際、現存する作品9点のうち完成された作品は3点のみ。建築でも有名なレオナルドですが、それもどちらかというとプロデューサーのような役割だったよう。ミケランジェロなどと比べると、形として残した仕事がそれほど多くはない。自らが手掛け、残した仕事のスケールで判断すれば、レオナルドはそれほど大きな仕事を残したとは言えない。

そのようなレオナルドの評価が一変するのが19世紀。手書き原稿の研究が一気に進み、残された膨大な記録から、レオナルドが天文学から医学、科学から芸術までいかに途方もないスケールの思想家だったかが分かり、「西洋の精神の頂点・原点」として認識されるようになったそうです。

そのようなキャラクターを与えられたレオナルド・ダ・ヴィンチにとっては、トリノ王宮図書館が所蔵するレオナルドの自画像は、いかにもふさわしい顔であると言えます。そうなると、これこそがレオナルドであるということになる。ちなみに、この自画像はレオナルドと考えられてはいますが、確定されたわけではないそうです。

これが本当のレオナルドであるかどうかは不明としても、結果的にこの禿頭と白ひげの自画像が「偉大な賢人のプロトタイプとしての自画像」となり、その後の歴史に登場する人物、マルクストルストイ、日本でも伊藤博文などの肖像に同様のイメージが与えられるようになります。

 

LNTolstoy.jpg

トルストイ

Itō Hirobumi.jpg

伊藤博文

こうして、レオナルドの自画像は、「人間と人間とのプライベートな領域での出会い」としての自画像とは異なる「もうひとつのThe自画像」としての性格を持つに至ったというわけです。

「はたして、レオナルドのプライベートな自画像はどのようなものだったのでしょうか?」

という問いかけで、第1回の講座は終了となりました。

2時間近い講義でしたが、非常に興味を掻き立てられる面白い内容でした。

16世紀に西洋で生まれた2つのタイプの自画像が、明治から続く日本の美術教育や、伊藤博文の肖像にも投影されていることは、森村泰昌さんが今、自画像を講座のテーマとしたことと合わせて、日本の近代化から現在につなげて考えられる事柄が含まれていると思います。

Ustreamでも毎回生中継されるこの連続講座、あと9回、楽しみです。

※森村さんは、ダ・ヴィンチの作品の多くが未完成であることには重要な意味があるということもちらっとおっしゃってました。今回は深く触れられませんでしたが、そこもかなり気になりました。

morimura2016.com

投入堂と炎の祭典

日本一危険な国宝と言われる「投入堂」。

鳥取県の霊山「三徳山」の険しい修験道を登った者だけが見ることができる、標高520メートルの断崖絶壁に立つ謎の平安建築です。

藤森照信×山口晃の「日本建築集中講義」に取り上げられていたのを読んでから、いつか見たいと思っていましたが、10月26日に行って来ました。

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10月26日にしたのは、その前日が10月の最終日曜日にあたり、投入堂がある三徳山三佛寺で最大のおまつり「秋会式」の炎の祭典と火渡り神事があったから。

神事と投入堂、両方見られる絶好のチャンスだったわけです。

 

行くと決めたら、まずは交通手段と宿泊です。

三佛寺のホームページによると大阪からだと、三朝温泉までの直行バスがある模様。

たしかにありました高速バス。これは便利ということで交通手段は決定しました。

日交高速バス| 倉吉〜神戸・大阪線

※後で気づいたのですが、高速バスの停留所、「三朝温泉口」は三朝温泉街とも路線バスのバス停とも離れていました。三朝温泉街の旅館、三徳山に行くには、倉吉駅で降りて、路線バスにのるのが一番効率的だと思います。

 

次に宿泊。できれば、三佛寺の宿坊に泊まりたかったのですが、電話したところ、「その日は年で一番大きなおまつりがあるから忙しくて無理ですー」とのこと。

そういうことなら、せっかくだし温泉もということで、ちょっと離れた三朝温泉の温泉宿の中で一人でも泊まれる安い部屋を探して予約。三朝温泉から投入堂までは路線バスがあるということで、宿も決定。

食事はまあ現地でなんとかなろう。準備は完了です。

三徳山三佛寺 秋会式(炎の祭典と火渡り神事)

快晴。神戸三ノ宮からの高速バスは座席の間も広く快適。景色も街から離れるにつれて、秋の山肌が美しく、うつらうつらしてる間に3時間半はあっという間、13時前に倉吉駅に到着。路線バスを探して、炎の祭典が行われているはずの三徳山へ。

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※後で気づいたのですが、味のあるデザインの3日間有効のバスフリーパス(1800円)がバスセンターで売ってました。倉吉駅三朝温泉投入堂の行ったり来たりには、お得です。ちなみに、バス会社販売の2日間有効のパスもあります。

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さて、さぞ三徳山へ向かう信心の徒も多かろうという予想を裏切り、バスに乗り込んだのは僕とおばあさんの二人だけ、と思ったら、発車寸前に地元の女子高生グループが7、8人で乗り込んできて、車中ずっとコイバナ。

んー、今日は三徳山三佛寺の年に一度の大祭のはず。本当にこのバスであってるのかと不安になったものの、女子高生は三朝町役場前で降り、おばあさんも三朝温泉病院前で降り、山道を登り始めるころには、ガラス越しにも霊山の神妙な空気が漂い始めました。

道沿いに駐車した自家用車の列が見えだし、車中に国宝投入堂に関する観光アナウンスが流れるのを聞いた時は、さすがに若干気持ちがアガりました。

じきに意外なほどひっそりとした登り口に到着です。

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この階段の上が三佛寺、少なからぬ人の気配を感じます。

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結構急な階段が、明日登る予定の投入堂のイントロダクションのようです。

階段を上り、和光院、皆成院などのお寺を過ぎ、もう一度階段を上ると、本堂の前に大勢の人波。まさに、これから炎の祭典が始まるところでした。

 

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今始まるかと思いながら見てるものの、地元議員や町長さんたちのスピーチが結構長く続きます。話を聞いていると三徳山も観光地としてのアピールが一番の課題のようで、集まった地域の皆さんとそれを共有していこうという内容。神事としてのディープさより、ほわっとしたコミュニティ感が広がります。

スピーチが一巡すると、山伏の正装に身を包んだ修験者が東西南北の上空に向けて順番に矢を放ちます。それを拾ったひとは矢を持ち帰って幸運のお守りにするようです。ここものんびりとしたもので、ゆっくりと矢が射られるたびに歓声があがり、見事ゲットした人は嬉しそうに笑ってます。一本は木の枝に引っかかり、みな爆笑。修験道の秘法というディープ感はなく、ゆるーい空気です。

東西南北2巡してその儀式も終わり、ほら貝での合図のあと、いよいよ炎が焚かれます。

相当な樹齢を経ていそうな老杉に囲まれた本堂前。やぐらに積み上げられた緑の束に修験者が火をつけると、みるみる煙が立ち上り、澄んだ山の空気に広がっていきます。

どうやらこの煙を浴びることも霊験があるようです。山伏たちが、般若心経を唱え始めると参拝客も唱和します。

やがて、炎が大きくなると、採燈護摩法要が始まりますほら貝の音とともに山伏行者達が、あらかじめ集められた願いの書かれた護摩木を次々と火の中に投げ入れていきます。

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まだ午後3時くらいでしたが、高い杉木立の中なので、炎の明るさが眩しく映ります。

ばちばちとはぜる護摩木の音、般若心経、燃え上がる炎、凛とした山の空気、土と煙の匂い。五感が刺激される、なかなかの体験でした。

 

護摩法要がおわると、いよいよ火渡り神事です。

燃え盛る火の上を素足で渡る修験道の秘法。煩悩が清められ、諸願成就。

今から準備しますというアナウンスがあり、火渡りのための火が焚かれます。道にそって火を燃え上がらせたあと、調節して弱めるようです。

人の波が動き始め、老若男女が本堂前に敷かれたビニールシートの上に靴を脱いで上がっていきます。見渡してみると、ほとんどの人が頭に緑色の鉢巻きを巻いています。

鉢巻きはテントの中で売っているらしく、どうやらそれを巻いているのが、火渡り神事に参加する人のよう。小さいこどもから、80才を超えていそうなおじいさんもいて、ああ、地域の人にとっては、小さいころから年老いるまで、親から子、孫まで世代を超えて何百年も続く行事なんだなと歴史を感じました。

最初は、間に合えば僕も参加して、迷いを払い、煩悩を清めるかと意気込んでいたのですが、階段の上から見渡しているうちに、緑の鉢巻きに地元コミュニティの一体感を感じてしまい、アウェーな気分のまま、輪の中に入っていけませんでした。

まずは、裃をつけた議員さんたちから歩いていきます。修験者が手を引いてサポートしてくれていますが、どう見ても熱そうです。煩悩があると、熱さを感じるそうですが、遠目に見るだけで熱そうだと思うのは相当な煩悩レベルなのかもしれません。

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時計を見るとバスの時間が迫っていました。場所が場所だけに、バスの本数も多くはなく、一時間に一本もありません。今日のところは満足。緑の鉢巻きの老若男女が、列を作り始めたあたりで、寺を降りました。明日の朝、投入堂まで登るために、またここに来るのです。

 

三徳山三朝温泉倉吉駅は同じバス路線なのですが、倉吉駅のロッカーに荷物を預けていたので、一旦倉吉駅まで戻った後、同じバスで三朝温泉まで。フリーパスがあると便利です。

 

三朝温泉は、温泉街としては、こじんまりとした落ち着いた印象で、ゆっくりするにはとてもいい感じです。川沿いの眺めもよく、気に入りました。

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投入堂

 いよいよ、念願の投入堂参拝の日が来ました。旅館の窓を開けると、登山の大前提となる天気は快晴。良い日になりそうです。

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投入堂に登るには、いくつかの条件があります。

  1. 雨が降っていないこと
  2. 服装が登山に適していること。特に靴は、トレッキングシューズなど滑らないもの
  3. 一人での入山は禁止。最低2名以上で登ること
  4. 入山時間は8時から15時の間

1はクリアー。2は靴がスニーカーでしたが、現地で売っている草鞋に履き替えるつもりなのでOK。一番の心配は3でした。近年、2年に一度くらいの割合で、滑落による死亡事故があるらしく、安否確認のために最低2名で登る決まりになっています。

今回は一人旅なので、現地で同行者を見つけなくてはなりません。平日だし、すぐに見つかるものやら検討がつかないため、とにかく朝イチのバスで投げ入れ堂に向かうことにしました。

月曜日、朝8時のバスには運転手さんだけ。同行者が見つかるか若干不安がよぎります。

8時半に三徳山三佛寺に到着。

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昨日あれだけの人がいた三佛寺ですが、今日は誰もいません。受付案内所でまずは、三佛寺への参拝料金を払おうと、竹ぼうきで庭を掃いているおじいさんに声をかけます。無言で案内所に入ってくると「登られますか?」とひとこと。

「はい。」

「一人じゃ登れませんからね。」

「知ってます。なので、同行者を見つけようと思ってるんですけど。」

「見つかればいいけど、なかなか見つからなかったら参拝料が無駄になりますから。あなたも予定があるだろうし。ここで待ってて、同行者が見つかってからお支払いになったらいかがですか?」

「一日に何人くらい来るんですか?」

「日によります。何百人も来る日もあるし、雨が降ったら20人くらい」

「まあ、でも今日は投入堂だけの予定なので。とりあえず入って、登山口で待ちます。」

「そうですか。時々振り返って、人が来ないか確認した方がいいですよ。」

 

んーなかなか難しいなと思いながら、料金を払い、階段を上ると、軍手を売っていたのでとりあえずお金を入れて一組とります。

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 昨日と同じ階段をのぼり、本堂を過ぎて、登山受付の前まで来ると、待合のテントがあり、投入堂のドキュメンタリーがテレビから流れています。ここまで来て、さっきの受付で待っていた方が、登山者に確実に声を掛けられるような気がしてきました。

参拝料は払ったけれど、一旦出て、目の前で同行者を待ってても、細かいことは言われないだろうと、登ってきた階段を下りかけると、ニット帽にリュック、トレッキングシューズを履いた男性がひとりで階段を登ってきます。近づいて「投入堂に登られるんですか?」と声をかけると「ええ。さっき受付の人から、ひとり上で待ってるからって言われました。」

という返事で、あっさり同行者が見つかりました。

話を聞くと、プロの山岳ガイドの方で、来週、団体ツアーのガイドとして投入堂に来るので、下見に来たとのこと。ひとりでは入山できないことを知らなかったようで、お互い助かったというわけです。

さあ、いよいよ登山です。

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二人で登山事務所に入っていくと、受付の若いお兄さんがさわやかに迎えてくれました。

簡単な注意事項の説明を受け、名簿に名前、連絡先、入山時刻、そして、事故があった場合の連絡先を記入します。

200円の登山料を払うと、輪袈裟(わげさ)というたすきを渡されます。投入堂への道は、あくまでも観光でなく修行なので、袈裟をする必要があるのです。お守りの意味もあるのかもしれません。いってらっしゃいと送り出されそうになったのですが、気がかりなことがひとつ。

「あの、靴がだめだと思うんですけど」とスニーカーを見せると、

「んー。今日の天気ならオッケーです!」

えっ!ぜんぜん街歩き用のスニーカーなんですけど!しかし、受付の人がOKというものを、だめでしょうというのもはばかられ、そのままスニーカーで登ることに。

ここで同行の男性が、受付の人に質問をしました。

 

「来週、団体を連れて来るんですが」

「団体さんですか・・。何人くらいですか?実は昨年、団体さんで・・・」

「知ってます。下山したら一名いなくなっていたっていたっていう。」

 

どうやら、団体ツアーの客で、投入堂に参拝後、下山してから滑落者がいたことに気付いたという事故があったようです。その方は滑落した時点で助からなかったということですが、気づいたときから見つかるまでのことを想像するとちょっと背筋が寒くなります。危険とは聞いていたものの、登山直前にそういう話を聞くと、さすがにリアリティが違います。

しかし、ここまで来ると怖いというよりも、集中力が高まる感じです。準備はOK、出発です。

橋を渡って門をくぐります。

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登り始めから、噂にたがわぬ険しい道が続きます。同行者は山岳ガイドなので、装備も完璧、効率的にどんどん登っていきます。こちらも付いていきますが、なにせ街歩き用のスニーカーなので、時々滑ります。なんだかんだで足場は見つかるのですが、足元が不安なのと、勾配が急なため、ほとんど手をついて、全身で登る感じでした。

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やがて、現れる中間地点の文殊堂。鎖をつかんで登ります。こういうところは、手の力でなく、足の力で登るつもりの方が安全らしいのですが、勾配が急すぎるので、結局腕力で登った感じです。女性には結構きついのではないでしょうか。

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しかし、文珠堂からの眺めは最高でした。紅葉にはもう少しというところでしたが、こんな景色は、なかなか拝めるものではありません。

安全用の柵などないので、体の前に何もないというのも、この開放感の理由だと思います。一周ぐるりと回れて、「落ちたら確実に死ぬ」ポイントもあるのですが、意外と怖さを感じないのは修行の道中だからでしょうか。f:id:thonda01:20151108190638j:plain

と思って、同行者に取ってもらった写真を後から見ると、ぴったり壁にくっついていましたので、体はしっかりびびっていたのだと思います。

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文殊堂の後は、勾配は緩やかになる代わりに、通れる道が狭く「両脇が谷になってる平均台」を渡るような難所が続きます。この辺りは、さすがに写真を撮る余裕はありませんでした。

途中には、鐘撞堂や観音堂などのそれぞれ謎めいた建物があります。

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そして、観音堂をすぎて、岩陰をまわると、突然開けた眺望に投入堂が現れました。

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写真では見ていましたが、実物を見ると周囲の崖も含めたスケールの大きさに、そこに建っていることに、なんだか現実感がありません。むき出しになった骨組みや、柱、平安風の茅葺屋根など、あらかじめ見たいと思っていた建築的な見どころもあったのですが、そういうディテールにも目がいかず、ただ不思議な感じにうたれながら、見上げていました。

しばらく、時間を過ごしたあと、同行者に記念撮影をお願いして、下山です。立ち去る間際に再度振り返って、これが参拝だったことを今更思い出し、投入堂に手を合わせます。

帰り道は、一度登ってきたコースなので、ある意味不安は少ないのですが、当然下り坂の方が滑りやすく危険です。知ってる道なので、緊張感が薄れるのがかえって危ない。滑落事故もほとんど下りの道で起きているということですので、あくまで慎重に、急な勾配は、後ろに手を突きながら降りて行きました。

文殊堂横の鎖坂は多分下りには使わないのですが、同行者である山岳ガイドの「懸垂下降で行きましょう」のひとことで、鎖をつかんで下ることに。

一応やり方を説明されて、体を岩からはなして足をぴったり岩につけて降りるように言われたのですが、スニーカーが滑るので結局腕で体を支える感じで降りて行きました。

ときどき足が滑ると、先に降りた同行者が「気を付けて!」と叫んでましたが、「そもそも、ここ下りるとこじゃないし!」と心の中で返していました。もっと距離が長かったら、危なかったと思います。

なんだかんだで、無事下山。輪袈裟を返し、下山時間を記入した時に、一気に緊張が解けました。

受付の人の話では、今は気候的にベストシーズンのひとつだそうで、春や梅雨時などは、地面も湿っていてもっと滑りやすいそうです。スニーカーでOKが出たのも一番登りやすいコンディションだったからのようでした。

平日の朝早い時間だったおかげで、他の登山者もほとんどおらず、1時間半で往復しました。戻りの道中ではすでに人が増えてきていたので、昼頃には、狭い道は渋滞状態になるのかもしれません。まあ、並んで通れるようなところはないのですが。投入堂は、ちょっと無理しても朝イチがおすすめです。

 

投入堂から無事下山した安心感の中、心地よい疲れとともに、本堂や宝物殿などを見学。仏像を鑑賞したり、三佛寺の歴史の解説をゆっくり読んだり、お土産を買ったり。

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ゆっくりと階段を下りて、三佛寺を後にし、周辺をぶらぶらしたあと、100年以上の歴史があるという老舗の食堂「天狗堂」へ。山菜と名物の三徳豆腐を使った天ぷら定食。本当はお寺の精進料理が食べたかったのですが、むしろこっちで良かったというくらい美味しかったです。

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あとはバスで温泉街に帰って、ゆっくり散策でもしながら、夕方になれば外湯巡りでもして・・・などと考えながら、バスの時間を調べると15分後の出発。次のバスは一時間半後。

 

・・・んー、でも間に合わないなあ。まだ天ぷらいっぱい残ってるし。急ぐ用事もないし、ゆっくり食べたいし。

 

・・・・あと5分。あと天ぷら3個か。

 

・・・・あと3分。バス停すぐそこだし・・・間に合うかも。

 

残りの天ぷら2個を口に放り込んで、バッグをつかんで立ち上がりました。

バスまで2分。店は座敷だったので、縁側でスニーカーをひっかけて、店から車道まで一気に下りました。あと一分。間に合うか。ウェストポーチを腰に巻く暇もないまま、両手に荷物をもってアスファルトの道を駆けました。

バス停が目に入り、間に合う!と下り坂に足を速めた刹那、足がもつれ左足がつま先から内側に曲がりました。左足に激痛を感じながら、バス停に到着すると、同時にバスが入ってきて、足をひきずりながら無事搭乗。

座席に座ったものの、この時点でちょっとやばい痛みだという気がしました。10分程度で温泉街につき、降りようとすると、再び激痛が走ります。

とりあえず、温泉街には着いたものの、宿まで歩けそうにありません。その時バス停の目の前に足湯があることを思い出しました。

野生動物は傷を負うと本能で温泉につかって傷をいやします。ここは野生動物に従うべきだと、とりあえず足湯まで歩いて行って、痛めた左足をお湯につけます。

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とはいえ野生動物ではない現代人、スマホを取り出し、捻挫についてググると「お風呂は厳禁」の文字。間違ってるじゃん!と慌てて左足をお湯から引き抜きます。さらに調べると、とりあえずすぐ病院で見てもらう必要がありそう。ここで思い出しました、確か先ほどのバス停の次の次は「三朝温泉病院前」だった!。調べてみると三朝温泉病院には整形外科があります。なんとかバス停までもどり、バスを待ちます。温泉街までもどるとバスの本数も多く、すぐにバスが来ます。

やってきました三朝温泉病院。

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受付で保険証を出すと、「受付時間外なんですが」と言う説明。

絶望にとらわれながら「さっき捻挫したんですけど・・・」と言うと、明らかに歩けない様子を見て、内線をかけてくれ、「診察します」という天使の声。

問診表に状況を記入して看護婦さんに渡します。

「耐えられない痛みが10だとすると、今どれくらいですか?」

「8・・・7ですかね。」

と、言いながら診察室まで歩こうとしましたが痛みで歩けず、車いすに乗せられます。

順番待ちもなく、すぐ診察。先生の名札をみると院長先生でした。

足首を触って「痛みますか」「いいえ」。

足を曲げてみて「痛みますか」「いいえ」。

「んー・・・・。」

足の甲を触られると痛みますかと聞くまでもない反応。

「んー。骨折してますねえ。」

「骨折・・・・・・ですか????」

「多分」

部屋を移動し、レントゲンをとってもらったあとの気の使われ方で、不安は確信へと変わります。再び診察して、第5中足骨骨折が確定しました。

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旅行中で、明日、大阪まで帰る旨を先生に説明すると、看護婦さんも一緒にずいぶんと心配してくれ、なんとか負担の少ない方法を考えてくれました。
松葉杖では移動に困るでしょうと、ギプスの代わりにギプスシーネという簡易ギプスでなんとか松葉杖なしの簡易処置を施してくれようとしたのですが、結局松葉杖なしは無理だろうということで「あなたを信用しますから。後で送ってくれればいいから」と、病院の松葉杖を貸してくれました。

やっぱり都会の病院とはちょっと違う暖かさを感じました。

こんなところで、旅先の人情に触れるとは、なかなかない経験です。松葉杖の使い方を説明してくれたリハビリ担当の若い女の子の三朝弁が、全く聞き取れなかったのも良い思い出になりました。

じゃらんに「三朝温泉病院」があれば、5点あげたいと思います。

病院を後にして再びバスに乗り、カランコロンと下駄がなる温泉街へ、松葉杖の音を響かせながら片足をひきづり宿までもどり、「投入堂の無事下山+バス停で骨折」をメールとSNSで関係各所に報告しました。

たくさんの心配と、「投入堂行って、そこで骨折!」という突っ込みと、哄笑を頂きながら、眠りにつきました。

 

10月27日(火)

翌朝は、朝食を持ってきた仲居さんに、

「昨日は晴れて良かったですねえ・・・あらあ!どうしたんですかあ!!」

というお約束のリアクションを頂き、「駅まで送迎バス出しましょうか」という親切なお言葉もいただきましたが、せっかくの旅の最後はせめて駅までゆっくり帰りたかったので辞退し、いろんな意味で名残を惜しみながら、倉吉駅を後にしました。

 

高速バスと阪急電車で地元に戻ったその足で、近くの病院に行ったところ、ギプスをやりなおし、両松葉杖で全治一か月となりました。

 

初めての骨折、松葉杖で、2週間経ちましたが、なんだか、この骨折のために投入堂への旅がまだ終わってないような感じがします。

骨折がなければ、すんなりと楽しい旅行で終わってたはずですが、そうはならずに、色々と考える機会を与えられたというのは、投入堂が修行の場だということを考えると、むしろ意味があることではないかと半分本気で思います。

そう思いながら、またそのうち、もう一度、三朝温泉三徳山三佛寺を訪れたいと思うのでした。

 

JT生命誌研究館に行ってみました。

大阪府高槻市にある、JT生命誌研究館に行ってみました。

JTによって運営されているゲノムやDNAなど、生命科学に関する企業博物館で、学芸員だけでなく一線の研究者も常駐しており、各人の研究を行っている点でユニークなのだそうです。

もともと、入り口に展示してあるという、「生命誌絵巻」という絵に興味があったのですが、ホームページを見ていると、ちょうどギャラリートークもあったので、ぶらっと出かけてみたのです。

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館内に入ると、来場者は少なめ。ちなみに、申請書を記入すれば、写真撮影もOKとのこと。ちょうどギャラリートークのツアーが始まるところでした。

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大学院生の方によるギャラリートークだったのですが、これがとても面白かったです。

一時間半くらいのツアーで、館内の展示物を簡単に説明していくのですが、進化やDNAなど全く知識が無くても(無いだけに?)、聞くことすべて「なるほどー」の連続で、ずっと首を縦に振りっぱなしでした。

たとえば、チョウは種類によって、幼虫の食べることのできる植物が決まっているそうです。

植物は生存のために毒を持っているのですが、それを餌にするチョウの側でも生きなければなりませんので、解毒できるようになっている。しかしそれは、一対一の関係で、例えば、ナミアゲハであれば、みかんの葉だけが食べられる。キャベツを食べたら死んでしまうそうです。

なので、卵を産む前に母チョウは、それがミカンの葉かどうか調べる。しかしチョウの口は蜜を吸うために細長くなっていて、葉っぱの味見はできない。そのためにチョウは脚に味覚があって、脚で葉っぱを削ってそれが餌になる安全な植物か識別しているのだそうです。チョウがときどき脚で葉っぱをひっかいているのはそういう動作でドラミングというそうです。この一対一の関係は不便なようでいて、逆にチョウと植物それぞれの種類で棲み分けるため、互いに生存し続けることができる仕組みになっているとのこと。

これはJT生命誌研究館の研究成果で、科学誌Natureにも掲載されたそうです。

館内にはこの研究のためのチョウのための植物園「食草園」もありました。

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他にも、いろいろと面白い話を聞かせてもらいましたが、この研究館の建物のつくりで面白かったのは、中央を通っている「生命誌の階段」。

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DNAを模してらせん状になった階段は、一段が一億年にあたり、階段の途中に、進化の過程におけるその時点のエポックな出来事がイラストとともに、解説されています。

46億年前の地球誕生から、38億年前の生命誕生(細胞に内と外を隔てる「膜」ができたことが大変重要とのことです。)、25億年前の葉緑体の誕生による光合成の始まり(酸素の生成)、20億年前の単細胞から多細胞へと進化した生物(ヒドラ、サンゴ)の出現、5億年前の気温の急上昇、そして海中から陸上への生物の上陸。

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現代である最上段まで登って階下を見下ろせば、生物のあゆみに想いをはせることができますが、その時に、人間だけでなく、現在のあらゆる生物にも同じ進化の過程があり現在を共に生きていることを感じてほしいということでした。

確かに、人間もこの膨大な時間の中で変化してきたあらゆる生物のつながりの一部であることが感覚的に理解できる気がしました。

現在、地球上の生物で確認されているのは3000万種ほどだそうですが、ゲノムの解析によると実際には6000万種ほどいると推定されているそうです。その地球上の生物を進化の過程で扇形に表したのがこの生命誌絵巻です。

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扇の根元にあたるところが、生物の共通祖先。どんなものだったのかは、まだ分かっていないそうですが、地質学の研究成果によって、38万年前にアミノ酸があったことが発見されており、それが生物の発生とされているということでした。

上に行くにしたがって時代が進みますが、縦に生物の共通性、横に生物の多様性が表されており、そして、そのような共通性と多様性の一部として、人間も左端に位置しています。

生命誌の階段と合わせて見れば、人間は、想像できないほど遠くからの時間と空間のなかで続いてきた生命の流れの中の構成要素であり、偶然でも必然でもあり、取るに足りないものでもあり、奇跡的なものでもあるのだと思います。

この絵に描かれている生物には絶滅したものもいますし、そのスケールで見れば人間もいずれはいなくなるのでしょう。しかし、この絵を見ていると、それで終わりではない。生命というのは人類の生存すら超えて、過去から未来へと続いていく、もっと大きなものだいうことが感じとれるような気がしました。

興味がある方は、ギャラリートークは月に2回位おこなわれているので、ホームページで確認して行くことを、お勧めします。

 

www.brh.co.jp

 

ボブ・ディランがIBMのCMで、人工知能ワトソンと対話。

ボブ・ディランIBMのCMで、人工知能ワトソンと対話。

 

youtu.be

絶妙なレトロ感とディランっぽい感じの会話が秀逸。

日本語訳してみました。

IBMワトソン:
ボブ・ディラン。私は言語能力を高めるために、あなたの歌詞を全て読みました。

ディラン:
全部読んだんだ?

IBMワトソン:
私は一秒間に8億ページ読むことが出来ます。

ディラン:
そりゃ速い。

IBMワトソン:
私の解析によると、あなたの主要なテーマは「時の移ろい」と「愛の消失」。

ディラン:
大体、合ってそうだ。

IBMワトソン:
私はいまだかつて、愛を知りません。

ディラン:
俺たちはいっしょに歌を書いてみるべきだな。

IBMワトソン:
私は歌えますよ。

ディラン:
君が歌える?

IBMワトソン:
Do be bop be bop do be do be do...

(立ち去るボブ・ディラン)

ティルマンス展 「Your Body is Yours」@国立国際美術館を観ました

国立国際美術館で開催されたティルマンスの個展、「ヴォルフガング・ティルマンス Your Body is Yours」を見ました。

いつもの国立国際美術館の客層から平均年齢マイナス5から8歳、シャレオツ度3倍くらいの感じの客層。
会期終盤だとしても予想以上の人出に、あらためてティルマンスの人気を実感しました。
そういえば、何年か前の森山大道の個展も結構な人出+シャレオツ度「高」だったので、ティルマンス人気というか、やっぱり現代美術と写真の客層の違いがあるわけですね。

ティルマンスの個展を見るのは初めてでしたが、一口に言うと面白い、飽きないという感想です。
展示会場自体がティルマンス自身の手によるレイアウト、デザインということで、非常にリズムよく考えられた構成だったのだと思います。

展示作品は大別して、

  • 友人やパートナーとのポートレートやスナップ
  • 物の形態を主題にした作品
  • カメラやフィルムを光学器として扱ったミニマルな作品
  • 政治的なメッセージを展開するコラージュ作品

などからなっていました。

代名詞とも言えるポートレート、スナップは、まさにティルマンスを見ているという感覚で、来場者が一番楽しめるものだったと思います。
クラブやパーティ、男女の肌のクローズアップなどの、無軌道ながら、生を感じる瞬間を写し取ったイメージが良く知られていますが、他にも植物、とくに成長している植物の写真が多く、まとめてみると、どの写真も強い生命力を感じさせる点が共通していたと思います。夜景や、車のヘッドライトだけを写した写真でも、それを見ている主体が意識されるためか、肉体的な感じがするのが不思議でした。

もともと、ティルマンスの90年代の人気というのは、クラブカルチャーやゲイカルチャーに代表される、タブーに触れる刺激を伴う自由への指向が、時代の先端を切り取るファッション性やオシャレ感と相まって共感を得ていたのだと思いますが、最近の作品まで合わせてみると、ティルマンスの自由への指向というのは世代や文化の表象としてではなく、本質的に作家の表現の中心にあるということが分かります。

展示の中盤に置かれた、移民問題や、貧困問題、同性婚に関するリアルタイムな新聞記事をコラージュした政治的な作風は、オシャレ感皆無のどシリアスなものでしたが、これも、90年代から一貫した、自分が自分として生きること(Your Body is Yours)への指向の中で捉えられるものだと思います。
観客も皆熱心に見ていて、展示のリズムや構成の力もあると思いますが、ティルマンスの写真に惹かれる要素には、もともとこういうシリアスな面が含まれているのだと思いました。

展示の後半には、戦場にいる、あるいは戦場に向かう兵士の新聞記事写真を切り取ったシリーズがありましたが、展示前半にある友人たちとのプライベートを撮ったリラックスした生の時間との対照が際立つ、乾いた緊張感を感じさせる写真で、個展のタイトルである「Your body is yours」の示すものについて、あらためて意識させられました。

一方で、印画のグラデーションや単色の色面だけで構成された「シルバーインスタレーション」、立体的な素材としての紙の美しさを追求したような「ペーパードロップ」などのミニマルで実験的な作品群は、物としての写真、プリントに視点を広げながら、純粋な色彩や形態の美しさを感じさせる印象深いもので、展示の流れのなかで変奏的な役割を果たしていたように思います。

森山大道は、写真集と写真展の違いを音楽に例えて、写真集をアルバム、写真展をライブと語っていましたが、ティルマンスの個展は非常にアーティスティックで完成度の高い、多くの観客を満足させるライブのように感じました。

そういう意味では、展示全体を通じて「Your Body is Yours」というメッセージを伝えているようにも思いました。

wired.jp

蔡國強展:帰去来 (横浜美術館) を観ました

横浜美術館で蔡國強展「帰去来」。

蔡國強は、企画展や芸術祭などで最近よく見るので気になっていました。

京都で開催された芸術祭Parasophiaでは、メインホールの巨大な櫓で一番の存在感を放っていたのが印象に残っています。

火薬を主な素材として用いることや、多人数での共同作業の作品制作の印象から、派手な仕掛けのアーティストに見える一方、ワタリウム美術館の「古今東西100人展」では、子供を抱いた観音様の掛け軸に、絵がぼんやりとしか見えないようにわざと上から和紙を重ねてある繊細な作品もあったりして、まとまった作品が見たいなあと思っていたところなので、この個展は非常にいいタイミングでした。

 

横浜美術館は初めて訪れたのですが、非常にアクセスが良く、みなとみらい駅を出て、ショッピングモールを抜けるとすぐに丹下健三建築の建物がありました。

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館内に入ると、アーチ形の壁面に、この個展のために制作された巨大な作品「夜桜」が現れます。

ここは撮影OKだったのですが、自撮り棒による撮影禁止という注意書きがあったのは、そういう来場者がいたのでしょうか。

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これが火薬かあ、とひとしきり見上げたり、近づいたり。確かにちょっと見たことのないおもしろい色彩、質感でした。
どうやって作っているのかと思いましたが、展示内で上映されていたメイキング映像を観ると、この作品はこのエントランスロビーで作られていて、床にひろげた型紙のうえに火薬を撒いて、本当に導火線に火をつけ爆発させていたので驚きました。さらに、そのあと火がついたのを「消して!消して!」と叫んでいるのをみて、これの許可が下りるのはこの人だけかもしれないと思ったりもしました。

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その他の作品の展示スペースは2階にあがったところから。

順路の最初はこれも新作で、日本の春画をモチーフにしたという「人生四季」。展示室の入り口に、「性的な表現があります。見たくないかたはこちらへ⇒」というような注意書きがあったので、そんなにすごいのかと思って入ってみると、そんな心配や期待はまったく無用な、美しい4点の連作。横浜美術館、もうちょっと違う書き方をした方が・・・。

春画をモチーフにしたのは、日本への留学時代に研究した日本の伝統美術を取り入れた作品を作ろうと思ったときに、すでに色々な解釈で現代にも表現されてきた大和絵などと違い、あまり正当に評価されてこなかった春画に、自分の表現を加えて作品を作る自由度が高いと感じたからだそう。

初めてカラーの火薬絵画に挑戦したという作品は、春画をモチーフにした男女の姿を、春夏秋冬の季節に合わせた色彩の火薬によって抽象的に描いていて、春画にある生命力や情念、愛情などが、爆発によって吹き付けられた火薬による荒々しさ、はかなさのようなものと相まって、純粋に絵画としての美しさを感じさせました。

個人的にはこの作品がこの個展で一番印象に残りました。

 

次の展示室でも、火薬による作品が続きます。陶器レリーフや天井から下がった朝顔の蔓に、火薬によってモノクロームの陰影がつけられた作品たち。

メイキングの映像が展示室内で流されていましたが、真っ白い陶器に四季の草花や小さな生き物を描き出した繊細なレリーフはそれ自体で美しく、それを火薬の爆発で汚すことで新しい美を作りだすというのが、ちょっと東洋的な美意識にも思えました。

 

そして、次の展示室が話題の狼の作品、壁撞き(かべつき)。

youtu.be

99体の狼のレプリカが展示室一杯に躍動しています。

一方の端に置かれた3メールほどの透明アクリルの「壁」に向かって、駆けて行っては、とびかかり、ぶつかっては落ちてくる狼の群れ。

狼の質感も姿勢も、かなりリアル。羊の毛皮を加工したものが使われているため、展示室内に獣のにおいがしているのも、リアリティに影響していたと思います。

99体が一連の動作にそって分解写真のように並べられているので、一体一体を追っていくとアニメーションのように動きが見えてきます。展示室の一方の端から駆けだしてジャンプし、壁にぶつかって床に落ちると体勢を立て直してもどってくる。そのため、狼は永遠に循環することになります。

解説を読むと、この作品は、もともとベルリンで発表され、「壁」はベルリンの壁崩壊後に現れてきた、人々の間にある見えない壁を象徴したもののよう。政治的な壁、経済的な壁、民族的な壁、思想の壁、歴史の壁、文化の壁、日本だとバカの壁というのもありましたが、要するに人々の間であるいは人間と理想の間でそれを阻むもの。

そこに突進して壊そうとしているのか、それを乗り越えようとしているのか、どちらにしても狼は永遠に壁にぶつかって落ちてきます。

狼には勇敢さ、99匹という数字には永遠の循環が暗示されているということですが、カミュの「シーシュポスの神話」のように、不可能な宿命に挑み続ける人間の努力への賛歌というような限定的な見方をしてしまうと、ちょっと面白くないと思います。

実際、そういったメッセージ性から作品を読み解こうとしても、この狼たちはちょっと可愛いし、ユーモラス。永遠に壁にぶつかっている狼たちは、永遠の悲劇でもあるし、ちょっと滑稽にも見えます。

なにしろ、展示室に入った人たちの反応としては、99匹のインパクトに思わず笑みがこぼれる人が大半で、こんなものを良く作ったなあという感嘆があります。そして、狼たちの間をぐるぐる回って、部分や全体を見てまわる面白さがあります。

その不思議な面白さが、作品をメッセージ性、意味性の枠に閉じ込められるのを回避させ、作品の中に人を引き込む広がりを持っているように思いました。このあたりが、蔡國強の国際的な人気ににつながっているのだと思います。それは、キャッチーさということとも違う、このアーティストの特性のように感じました。

 

 あとは、展示作品のメイキング映像やインタビューなどの上映コーナーがありましたが、これがなかなか必見です。なにより火薬を使った制作の様子だけでも見どころですし、日本に留学していた蔡國強が日本語で語る、作品制作に対する考え方も興味深いものでした。

蔡國強は北京オリンピックの開閉会式の花火を使ったアトラクションも手掛けているので、ある意味で体制とも折り合いをつけて仕事をするタイプかと思われますが、インタビューで語られていた、文革期の文化的に抑圧された環境で外部へのトンネルを探していたという生い立ちや、「政府だけが中国ではない。人や文化や土地も中国。それを私は表現する責任がある」という言葉に、彼のスタンスが明確に表れていたと思います。

 

今回の個展のタイトル「帰去来」にはもとに帰るという意味があり、それはアーティストとしての出発点である日本という場所で作品を作ることや、より絵画的な作品への指向を指しているようです。

そういった意味では、海外で話題になったイベント性の高い表現よりも、より本質に近いものが見られる展示かも知れません。

特に印象に残ったのは、コンセプトがある作品でも、結果として鑑賞者には純粋に美しいものを見せたいという美意識で、そこには懐古やナショナリズムではない形で、中国の伝統や文化を、現代に表現する挑戦も含まれるように思いました。

 

最後に、展示室を出たところにに設けられたiPadのゲームは、難易度高すぎるので、時間に余裕のある方だけにお勧めします。

 

yokohama.art.museum

 

www.pen-online.jp

 

「堂島リバービエンナーレ」観ました。

堂島リバーフォーラムで開催中の「堂島リバービエンナーレ2015 ~Take Me To The River」を観ました。
近くにビジュアルアーツ専門学校があるからか、学生風の若いグループや、カップルなどが多かったですが、あんまりプロモーションされていないせいか、割と空いてました。
かなり面白い展示なのにもったいない。8月30日までやってます。

テーマとしては、「Take Me To The River」という副題が表すように、「現代における『流れの空間性』と、そこに現れる変容と交換を探る展覧会」ということで、固定された土地よりも、グローバル化・流動化した現代社会の流れが生み出す空間性に焦点を当てるということのようです。
そのメタファーが「川」や「水」で、展示作品にはすべて、「流動」というキーワードが現れています。
流れるのは、時間でもあり、情報でもあり、お金でもあり、人でもあり、といったところですが、映像も含めて、実際に動く作品、実際に水を使った作品が多いために、鑑賞者は展示を回るうちに身体で「流動」を感じながら、目に見えない流れるものに考えを巡らせることになります。

特に印象に残ったというか、目玉と言っていいのが、池田亮司の作品。
真っ暗なホールの床全面をつかって、デジタル信号が高速で流れていき、しかも、靴を脱いでそのスクリーンの上を歩くことができるために、まるでデジタルの川を自分自身が逆流しているように感じます。
池田亮司の同種のシリーズは一昨年の京都国際舞台芸術祭でも見ましたが、その時はスクリーンでの上映形式だったため、今回は全身で作品世界に飲み込まれるような完全に別の体験でした。
映像も音も最高にクールで、プログラミングという技術や数学的な法則を前提にした美しさの表現としては、これ以上のものは中々無いと思います。
エンターテイメントとして体験しても文句なしに面白く、小さい女の子がデジタル信号の流れを追いかけて往復ダッシュを繰り返したりしていて、鑑賞者も全員楽しんでいました。

また、海外ドラマシリーズのスタイルを借りた、メラニー・ギルガンの映像作品「コモンセンス(フェーズ1)」も面白かったです。
近未来の社会では、上顎の裏にチップを装着し、相手の感情を自分の感情のように感じることができる技術が開発されており、互いに言葉にせず、あるいは努力をせずとも、コミュニケーションをとることが可能になっています。
ここで「流動」しているのは、人間の感情や共感(これも情報として扱われています)ですが、チップに対して身体的拒絶反応の発作を起こす人や、チップなしでは不安で一時も過ごせない人々、そのチップを使って上司の感情を常に部下に感じさせることで業務生産性、効率性をあげるコンサルタント企業などが出てきます。
アートというより警告的なSFのようにも感じますが、スタイルとして海外ドラマシリーズのパロディになっているために、それを展示として観る鑑賞者自身の日常も客観的に意識されるようになっています。

その他にも、サイモン・フジワラ、ヒト・スタヤル、フェルメール&エイルマンスなど、ユーモアを含みつつ過激ともいえる要素もあって、間口の広い、楽しめる作品が多いように思いました。

映像を使った作品が多いのですが、別の意味でもうひとつ面白いのは、同じく映像を使った作品が多い国立国際美術館の「他人の時間」展との対比です。
「他人の時間」展が、アジアの作家がそれぞれの国(土地)特有の歴史や記憶を取り上げた作品が多いのに対し、「堂島リバービエンナーレ」の出品作家は日本人を除き、すべてアメリカとヨーロッパの作家になっており、ITをはじめとするテクノロジーや、金融など、ネットワークの上を流れるものが扱われています。
両展とも現代性を強く意識させるテーマでありながら、真逆のアプローチのようにも思え、同時期にすぐ近くで開催していることを考えると、意図的に互いに補完する関係になっているのかもしれません。
ということで両方観ることをおススメします!
「他人の時間」展は9月もやってますが、「堂島リバービエンナーレ」は8月30日までなので、お早目に。

 

 堂島リバービエンナーレ

DOJIMA RIVER BIENNALE 2015 | DOJIMA RIVER FORUM

 

他人の時間

www.nmao.go.jp